神ではなく、君主を讃える音楽
前回、バッハの『コーヒー・カンタータ』を聴きましたが、バッハはほかにも20曲ほどの世俗カンタータを作曲しています。
それらは、『コーヒー・カンタータ』のような余興や、冠婚葬祭など、様々な日常的機会に作られたもので、教会音楽家のイメージが強いバッハの違った一面を知ることができます。
その中でも目立つのは、君主を讃えるカンタータです。
絶対君主政の時代ですから、当然といえば当然ですが、キリスト教世界では、神やキリスト、マリアや聖人以外、世俗の人間を讃えるのは憚られました。
そのため、ストレートに主君を讃えるのではなく、寓意を込めて間接的に持ち上げるような手法が多く採られました。
バッハが君主を讃える曲はさらに、音楽劇のように、市民も一緒に楽しめるような工夫が凝らされているのです。
今回取り上げる曲も、そんなひとつです。
さて、大都市ライプツィヒの音楽監督だった頃のバッハの主君は誰でしょうか。
このあたり、ザクセン地方を当時治めていたのは、ザクセン公でした。
神聖ローマ皇帝の選挙権をもった7人の選帝侯のひとりです。
ライプツィヒは近世にはザクセン選帝侯領に組み込まれましたが、中世以来、国際的商都として商人が市政を司っており、高度な自治が認められていました。
しかし、諸国の係争の地であり、強力な領主の保護も必要としたのです。
バッハのライプツィヒ後半時代のザクセン選帝侯は、フリードリヒ・アウグスト2世(1696-1763)で、ポーランド国王を兼ねていました。
ややこしいですが、ポーランド王としてはアウグスト3世と呼ばれます。
ポーランド王は、14世紀以降、法的には国王自由選挙で選ばれることになっていました。
神聖ローマ皇帝と同じです。
強い王であれば、自分の子に王位を継がせることができますが、世襲制ではないので、形の上では選挙が必要でした。
しかし、これは諸国の介入を招き、16世紀にヤゲヴォー朝が断絶してからは、内外の様々な思惑と権力闘争の果ての選挙となりました。
ザクセン選帝侯がポーランド王位を手にしたのは、その父、フリードリヒ・アウグスト1世(1670-1733、ポーランド王としてはアウグスト2世)でした。
先代のポーランド王は、オスマン・トルコの第2回ウィーン包囲からオーストリアを救い、ヨーロッパの救世主とうたわれたヤン3世ソビエスキ。
彼が破ったトルコ軍が残していったコーヒー豆がウィーンのカフェのはじまりになった話は前述しました。
しかし彼は、英雄と讃えられながらも、自分の子に王位を継がせることができなかったのです。
隣国のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世が、手段を選ばず、強引に国王選挙に立候補してきたからです。
信仰よりも権力を優先した〝強王〟
そもそもザクセン選帝侯といえば、16世紀初めに宗教改革を始めたマルティン・ルターを保護したことで有名で、代々、いわばドイツ・プロテスタントの盟主です。
しかし、ポーランドはカトリック国。
カトリック教徒でなければ、そもそも国王選挙に立候補もできません。
そこで、フリードリヒ・アウグスト1世は、あろうことかカトリックに改宗し、さらに選挙にあたって莫大な賄賂攻勢をかけて、ようやく王位を手にしたのです。
新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の争いは、ヨーロッパ中に戦争、内戦やテロを巻き起こし、100年以上にわたって血で血を洗う惨劇をもたらした因縁がありますから、ずいぶんと思い切ったことをしたものです。
しかし、スウェーデンとの戦争で劣勢になると、対抗王スタニスワフ・レシチニスキが立てられるなど、その王位は安定しませんでした。
スタニスワフ・レシチニスキの娘、マリー・レクザンスカは、スタニスワフを応援していたフランスのルイ15世の王妃になっています。
そんな諸国との戦争やゴタゴタの末、何とかかろうじて、フリードリヒ・アウグスト1世は最終的にポーランド王位を確保できました。
彼は〝アウグスト強王〟と呼ばれますが、それは戦争に強い、ということではなく、王自身がとてつもない怪力と精力の持ち主だったからです。
腕っぷしの強さは、蹄鉄を曲げてみせるのが自慢でした。
子供はほとんどが私生児で、365人から382人とも言われています。
ショパンの恋人、ジョルジュ・サンドもこの王様の血を引いています。
〝ザクセンのヘラクレス〟との異名をとりましたが、単なる武骨な荒くれ男、というわけでもなく、文化、芸術、建築を愛し、ザクセンの首都ドレスデンをバロック様式の華やかな都に変え、その美しさは〝エルベのフィレンツェ〟〝エルベの真珠〟とうたわれました。
マイセン磁器を創始したことでも有名です。
その在世中、あまりポーランドには行かず、もっぱらドレスデンにいたのです。
そんな王の死後、ザクセン選帝侯位は、唯一の嫡出の長男、フリードリヒ・アウグスト2世が継ぎます。
ポーランド王位はまた選挙になり、流血の争乱にも発展しましたが、ロシアの支援を得て、何とか父同様にポーランド王位も継承することができました。
強王の息子に捧げた曲
そんな即位の翌年、1734年の新王の誕生日を祝うため、バッハは今回のカンタータ『しのび流れよ、戯れる波』を作曲したのです。
ライプツィヒでの祝賀行事のための曲で、王に直接聞かせることは想定していなかったようです。
しかし、誕生日前に、王夫妻が急遽ライプツィヒを訪問することになりました。
通知は、なんと王の到着の3日前。ライプツィヒの人々は大慌て。
急ぎ歓迎式典用の音楽を作ることになりましたが、誕生日用の曲は使えません。
バッハはこの曲の制作を中断し、新たに『おのが幸いを讃えよ、祝福されしザクセン』BWV215を大急ぎで作曲して間に合わせました。
今回の曲は、おそらく2年後の1736年10月7日、選帝侯の誕生日の夜8時に、例のツィンマーマンのコーヒー園で演奏されたと考えられています。
王を讃える曲ですが、王自身が聴く機会は無かったのです。
川たちが王様を取り合うお話
この曲は〝音楽による劇〟と題され、この王様の領地を流れる次の4つの川が擬人化されて、登場人物となっています。
『千と千尋の神隠し』に出てくる〝名のある川の主〟といったところでしょうか。
ヴィスワ川=ポーランドの首都ワルシャワを流れる川
エルベ川=ザクセンの首都ドレスデンを流れる川
ドナウ川=オーストリアの首都ウィーンを流れる川
プライセ川=ライプツィヒを流れる川
内容は、これまで触れた、ザクセン選帝侯がポーランド王を兼ねるという、当時の特殊な政治状況を反映していて、とても興味深いです。
主君を讃える、いわば〝ごますり〟の音楽ですが、劇のような形にすることで、市民も楽しめるドラマに仕立ててあるのです。
このあたりが、君主の保護を得ながら、一定の自由も確保した、ドイツの都市の市民的な雰囲気を感じさせてくれます。
主人公は川たち、という音楽劇ですが、折しも、台風19号ハギビスによって、多くの川が氾濫し、大変な被害をもたらしています。
4大古代文明はいずれも川のそばに生まれたように、人類は川のもたらす恵みで発展してきました。
しかし、川は時に、とてつもない災いも引き起こします。
川の恵みだけを享受し、災難は避けようと、人々は治水のために集まり、団結して力と知恵を出し合い、そこから政治権力が生まれた、といわれています。
治水=まつりごと だったわけです。
でも、現代になっても、まだ人類は川をコントロールできていない、ということを思い知らされます。
昔の人は、この曲のように、川に神が宿り、人格があると考えて、敬い畏れていました。
現代人も、川のふだんの穏やかさに油断せず、また文明の力を過信せず、自然に対する恐れを忘れてはいけないということでしょう。
被災地の早い復興を願ってやみません。
バッハ:カンタータ 第206番『しのび流れよ、戯れる波』BWV206
Johann Sebastian Bach:Cantata, BWV206 “Schleicht, spielende Wellen”
演奏:ラインハルト・ゲーベル指揮 ムジカ・アンティクワ・ケルン
Reinhard Goebel & Musica Antiqua Köln
第1曲 合唱
合唱
しのび流れよ、戯れる波、せせらぎの音も穏やかに!
いや、ざわめき急げ
岸を、岩を、鳴りどよめかせ!
われらの流れをかきたて
すべての波をさざめかせる喜びよ
堰を破れ!
川の水をよどませる偽りと憚りの堰を!
冒頭、歌詞の通り、忍びやかな川のさざ波を思わせる音型で始まりますが、すぐにトランペットが鳴り響いて、荒々しい川波が岸に打ち付けるかのように激しい合唱となります。バッハの合唱の中でも出色の迫力で、当時の聴衆も度肝を抜かれたことでしょう。ダ・カーポ形式ですが、中間部の構成はポリフォニックで手の込んだものです。穏やかな波、激しい波、様々な川の表情を織り込み、自然の力に圧倒されるような合唱曲です。
ヴィスワ川(バス)
ああ、幸いな変化よ!
わが流れは、つい先頃まで、まるでコキュートスのように
命の失われた屍と
千々に裂かれた体を運んでいたが
いまやアルペウスにも劣らず
アルカディアのような祝福の地を潤している。
鉄を朽ちさせる錆は
撃ち捨てられた武器に喰い入る。
天の酷い定めが
先頃までわが諸国民の胸元にぎらつかせた武器に
このような幸せをわたしにもたらしたのは誰だ?
アウグストの君、臣民の悦び。
その国々の守り神。
わが君の王笏の前にわたしは身をかがめ
わが君の慈悲だけがわたしの上を覆っている。
この方こそが、このような業績を成し遂げられたのだ。
さあ、わたしの水を飲む者はみな歌え。
最初に語りだすのは、ポーランドを流れる大河、ヴィスワ川です。バスが担当します。最近まで自分は、地獄の川コキュートスのように死体を運んでいた、と物騒なことを言いますが、それはフリードリヒ・アウグスト2世がポーランド王位を獲得するにあたっての戦争を意味しています。しかし、王の力で戦いは終わり、武器は錆びました。今やポーランドを代表する川、ヴィスワの流域は、アウグストのおかげで、アルカディアのような理想郷となった、と喜んでいる、というわけです。
ヴィスワ川(バス)
ヤヌスの神殿の扉は閉ざしなさい
心の扉をわれらは開こう!
あなたに立てた臣従の誓いはもとよりのこと
わが君よ、ただあなたの慈悲だけが
われらの悔いに満ちた心を
従順へといざなう
弦と通奏低音の伴奏によるバスの軽快なアリアです。ヤヌスの神は古代ローマの〝扉の神〟です。前と後ろに顔を持つ双面神で、物事の初めと終わりの境界を司るとされ、時間では1年の終わりと始まりである1月を担当し、英語のJanuaryの語源になりました。その神殿の扉は、戦時には開かれ、平和になると閉じられたため、ここでは平和を宣言し、王への忠誠を誓っていることになります。
エルベ川(テノール)
そのとおり!
幸せを得たヴィスワ川よ!
お前の言葉をたたえよう。
お前の誠意が、常にわたしの願いと祝意をむなしくせず、
わたしの愛を押しのけず、
わたしより国王の君を奪いとらない限り。
貸与は贈呈ではない。
お前は慈悲深いアウグスト陛下をわたしに懇望した。
その優しいお顔立ち、
偉大なる父王の面影を宿したこの君を、
わたしはお前に貸し与えたのだ。
わが君にお前の尊敬と称賛を捧げるのはよしとしよう。
しかし、わたしの懐、わたしの腕から奪い取ってはならない。
わたしは誓う、ああ主君よ!
父君のなきがらにかけて、
わが君の赫赫たる勝利の花道にかけて。
わたしがもしこの誓いを破ったならば
わたしの水は豊かなるガンジスに呑まれて、
その水源も分からなくなってしまうだろう。
はたまたマラバル人が来て、
わたしの岸辺で漁をはじめるだろう。
そう、わたしが片時でも、わが君を忘れたなら。
この上なく尊いアウグスト陛下よ。
次に出てくるのが、ザクセンを流れるエルベ川です。エルベは、ヴィスワに対し、アウグスト陛下はあくまでもわれらの君主であり、ポーランドには貸しているだけだ、あげたわけではないぞ、と釘を刺しています。ポーランドとザクセンの2国が、アウグスト王を奪い合っている、という構図です。もし自分がアウグスト王のことを忘れたなら、遠くインドのガンジス川に呑まれて、マラバル人(インドの西南部地方)のものになってしまうだろう、と誓います。ヨーロッパの川ではなくなって、野蛮人の川になってしまう、というわけです。
エルベ川(テノール)
わたしの波のうねりは
ことごとく叫び呼ばわる。
黄金のことば『アウグスト!』を。
見よ、快活なトリトンたちよ。
まだ味わったことのない悦びに
わたしの流域の水が満ち溢れるのを。
岸に砕けるしぶきに乗って
この御名のうるわしい調べが
十重二十重に響き合うのを。
ヴァイオリンのオブリガートが川波を模しています。ロ短調の響きが、他国に心が向いてしまったアウグスト王への複雑な思いを表し、慕わしい気持ちと、切ない気持ちが、胸の内に立ったさざ波のようです。〝尊厳なる者〟初代ローマ皇帝アウグストゥスからとられた王の名を波が唱えています。
ドナウ川(アルト)
わたしにもあなたの喜びを分けてほしい
あまたの川の年老いた父よ!
知ってほしい
わたしにもあなたの主君を讃える大いなる権利があるのを。
もちろんわたしはあなたの幸福を
あなたのソロモン王が生み出したその幸せを
ねたんでいるのではない。
実に、われらがカール帝の御手こそが
天の賜物であり、帝国統治に絶妙な腕をふるっている。
しかし、知らない者がいるだろうか。
あなたの慈悲深いトラヤヌス帝が
優しいヨゼフィーネ姫を愛する妃として迎えた日より
ひたすらに味われた、あの悦びの根が
今なお、わたしの岸辺に緑いっぱいに芽吹いているのを。
ここで、ふたつの川の争論に加わってくるのが、ウィーンを流れるドナウ川です。一見関係ないと思わせますが、選帝侯妃マリア・ヨゼファは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ1世の皇女なのです。飛び入りですが、わたしにもアウグスト王を讃える権利がある、としながら、現皇帝でバッハと同い年のカール6世(1685-1740、マリア・テレジアの父)の統治力も讃えています。また、君主を、ソロモンやトラヤヌスといった古代の賢王、賢帝になぞらえるのも常套手段です。
ドナウ川(アルト)
ハプスブルクの高い幹から出た若枝よ
あなたの威徳の明るい炎を
わたしの岸辺は知り、唱え、ほめたたえる
あなたは月桂樹の枝より出られたゆえ
あなたの結婚の絆もまた
実りの多い月桂樹にあやかるであろう
歴代、あまたの高貴な王侯を生み出したヨーロッパ一の名家、ハプスブルク家を大樹にたとえ、その若枝である皇女の愛が、アウグスト王の統治を支えている、と歌います。2本のオーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)が優しい音色で王妃を称賛し、その家柄を讃えます。
プライセ川(ソプラノ)
お許しください
強大さを競う川々の、いにしえよりの棟梁たる皆さま
一介のニンフがあなた方の論争を
さえぎってしまうご無礼を。
その争いはごもっとも
その理由は尊く、偉大なることです。
わたしにとっても、それは大いなる悦び。
われらニンフらが楽しくさざめいた
勝利の君の到来を迎えたときさながらに鮮やかです。
この君こそふさわしい。
百頭の牡牛の群れでは足りず、
臣下たちがこぞって自分の心を
御前に供物として捧げるのに。
でも聞いてください、はばかりながら
わたしの申し上げることを。
イン川とレヒ川を合わせて流れる御方、
わたしとともにこの国王ご夫妻を崇めましょう。
しかしあとのお二方については、わたしにお任せください。
おふたりは、どうか兄弟の盟約を結んでください。
そうしてあなた方は、この二国にまたがる統治の太陽が
片時の間、それぞれに欠ける間は
忍耐と希望を堅くもってください。
最後に登場するのが、ライプツィヒを流れるプライセ川です。プライセはエルベ川の小さな支流に過ぎず、これまで出てきた大河には比べようもないため、自分のことを河神ではなくニンフ(妖精)と卑下しています。ライプツィヒとしては、ザクセン、ポーランドも、王の取り合いはせず、それぞれ王の不在には我慢して、ご来訪を待ち望んでいてください、ととりなします。レヒ川とイン川が合わさるのはドナウ川です。
第9曲 プライセ川のアリア
プライセ川(ソプラノ)
さあ聞いてください!
穏やかなフルートの群れを
胸を喜ばせ、耳を楽しませる
ゆるぎない和合の力
この好ましい調和を生み出し
さらに大いなる奇跡の業を行う
心に銘じて、調和のしらべに声を合わせてください!
2本のフルートがハーモニーを奏で、大河たちの調停役として、和合の素晴らしさを歌います。どこまでも優雅な調べが、諍いを鎮め、調和の奇跡を演出するとともに、ライプツィヒの町の立ち位置も表しているのです。
ヴィスワ川
わたしはわたしの定めにしたがう
エルベ川
分かち合うことは、情において辛い
しかし、わが王の目くばせはわたしの意志に銘じている
ドナウ川
わたしは出来る限り、おふたりの願いを助けよう
プライセ川
このように、和合こそ皆さまの結びを飾るのです
見てください、どうしてあなた方の岸辺に
きょうこれほど多くの祭壇が築かれたのでしょう?
水の女神たちはなぜ舞っているのでしょう?
おお、わたしが思い違いをしているのでなければ
久しく待ち望んでいた光が
喜ばしい輝きでわたしの心を打っているのです。
その輝き、全地の喜びであるアウグスト陛下は
その尊い御名を帯びておられる。
さあ!皆さん!
この佳き日に、わたしたちに招きの手を差し伸べて
わたしとともにもう一度声を合わせてください。
これを聞いた大河たちも納得し、協力を承諾します。プライセ川が最後に、アウグスト王の誕生日を祝おう、と提案し、大団円を導きます。
第11曲 合唱
合唱
とこしえの慈しみに満ちた天の摂理が
わが君の生きたもう日々を守りますように
アウグスト陛下よ!
今このときわれらの苔むした川筋の
水のしずくが限りないように
永遠にわが君の御心が
満ち足りた喜びと希望で包まれますように!
プライセ川の提案に、皆で和し、川の流れが尽きないように、アウグスト王の統治が続いていくことを願い、その誕生日を祝福します。ジーグの楽しいリズムのロンド形式の合唱で、にぎにぎしくこの祝祭音楽を締めくくります。
ここまで政治的な内容を、権力者への白々しい迎合とみせず、市民まで楽しめる音楽にしたところが、バッハの見事な腕前といえます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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