孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ベートーヴェンを揺さぶったアフリカ魂。『ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47《クロイツェル・ソナタ》』

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ジョージ・ブリッジタワー

黒人ハーフの名ヴァイオリニスト

ベートーヴェンは、前回取り上げたヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調の最終楽章が、ことのほか大規模なものになってしまったため、他の楽章とのバランスが悪いと考え、出版に際して、新しい楽章を作曲して差し替えました。

いったんお蔵入りになってしまったフィナーレですが、もちろんベートーヴェンもせっかくの力作を打ち捨てるわけがありません。

これに見合う第1楽章、第2楽章をいつか作るつもりだったはずです。

そのチャンスはすぐに訪れました。

ある名高いヴァイオリニストがウィーンに演奏旅行に来たのです。

その名は、クロイツェル…ではありません。

ジョージ・ブリッジタワー(1778-1860)。

黒人の父とドイツ人の母をもつハーフでした。

黒人の血を引く人がヨーロッパ楽壇でもてはやされているとは、人権がようやく叫ばれたばかりの頃なのに人種差別はなかったのか?と思いますが、珍しがられていた、というのが実情のようです。

ヨーロッパ貴族の間では、黒人の召使を雇うのが流行していました。

ブリッジタワーの父は、他ならぬハンガリーエステルハージ家に雇われていたので、ハイドンとも面識があったかもしれませんが、西インド諸島の出身でした。

その先祖は奴隷貿易でアフリカからアメリカに連れてこられたと考えられますが、本人はそれを逆利用し、自分はアフリカの王家の末裔だ、と自称していました。

これはヨーロッパ貴族の間で大いに受ける触れ込みでした。

そして、エステルハージ侯爵の次に仕えたリトアニアのラジヴィウ公爵家のメイドと、使用人同士で結婚し、ブリッジタワーを生んだのです。

奇跡の出会いが生み出した古今最高の名曲

ブリッジタワーは幼少の頃より非常な楽才を示しました。

貴族の家に雇われていなければヴァイオリンに触れる機会もなかったでしょうから、幸運といえますが、パリ、さらに英国に渡って演奏し、人々を驚かせました。

ロンドンでは摂政王太子、後のジョージ4世の目に留まり、本格的な音楽教育を施され、ついには王太子プリンス・オブ・ウェールズ)宮廷楽団のコンサートマスターにまで取り立てられるのです。

そして1802年にはヨーロッパ演奏旅行に出ることを許され、ドイツで母親や兄弟の前で演奏して故郷に錦を飾り、音楽の都ウィーンに来て、ベートーヴェンと出会いました。

ベートーヴェンは彼の演奏を聴き、大いにインスピレーションを搔き立てられたのは間違いありません。

一緒に共演するために、先に書いてあった第3楽章に、残りふたつの楽章を突貫工事で作曲しました。

そして完成したソナタが、ベートーヴェンのみならず、古今のヴァイオリン音楽の最高峰と称えられる『クロイツェル・ソナタです。

最初のヴァイオリン・ソナタ、第1番を作曲してからわずか5年の間に絶頂に達したのです。

そして、ベートーヴェンはこのあとヴァイオリン・ソナタは10年ほど作曲せず、わずかに1曲、第10番 ト長調 作品96があるのみです。

この曲は、同じように高名なヴァイオリニスト、ピエール・ロードがウィーンに来た折、ルドルフ大公と演奏するために作曲されたもので、そのような機会がなければベートーヴェンはヴァイオリン・ソナタはもう書くつもりはなかったかもしれません。

『クロイツェル』でいったん頂を極めた、という思いだった可能性は高いです。

意気投合、そして決裂

作曲スケジュールは、例によってムチャな進行でした。

弟子のチェルニーによれば、第1楽章はたった4日間で作曲され、完成は初演の直前だったとのことです。

また同じく弟子のリースは次のように書き残しています。

冒頭アレグロの大部分はとっくに出来上がっていたが、ずっとましというわけではなかった(注:演奏会前日に作曲が始められ当日に完成したホルンソナタ作品17と比べて)。ブリッジタワーは演奏会の日取りが既に決まり、自分のパートを練習したがっていたので、彼をとても急き立てた。ある朝、ベートーヴェンは私を朝4時半に呼び出してこう言った。『この冒頭アレグロのヴァイオリン・パートを急いで書き写して』。(写譜者はただでさえ忙しかった。)ピアノ・パートはまばらに記譜されているだけだった。朝8時のアウガルテンの演奏会でブリッジタワーは、ヘ長調の素晴らしく美しい主題と変奏を、ベートーヴェンの手稿から弾くはめになった。写譜する時間がなかったからである。*1

ブリッジタワーはベートーヴェンが書きなぐった第2楽章の楽譜を見て、肩をすくめたということです。

そして、パート譜に少しアレンジを加えました。

それを聞いたベートーヴェンは、怒るどころか、とても気に入ったようで、『もう一度だ、相棒!』と飛び上がって叫んだということです。

ベートーヴェンは、作曲もしていたブリッジタワーの音楽性に大いに感銘を受けていたようです。

初演ではその第2楽章が大好評でアンコールされましたが、チェルニーによると、ブリッジタワーの演奏は非常に「突飛」だということで、嘲笑も買ったということです。

おそらくそれは第1楽章のことだと思われますが、そもそもベートーヴェンの音楽そのものが、現代でも圧倒されるほど前衛的なものですから、当時としては当然ともいえます。

彼は記念にブリッジタワーに音叉を贈り、それは今でも大英図書館に所蔵されています。

また、第1楽章の自筆譜には、『大変人でまぜもの作曲家の混血児ブリシュダウアー(ブリッジタワー)のために作曲されたまぜこぜソナタ』とふざけて記してあります。

ブリッジタワーがハーフであることと、このソナタが色々な要素がまぜこぜになっていることを茶化しているわけです。

もちろん侮蔑の意識はなく、彼への親しみを表したものですが、この作品が「突飛」なものであることは、ベートーヴェン自身も意識していたわけです。

このように意気投合したふたりですが、最後はケンカ別れしてしまいます。

ブリッジタワーの証言によれば、彼がある女性の悪口を言ったところ、その人はベートーヴェンと親しかったため、侮辱ととらえて怒り、絶交された、ということです。

そのため、この曲は出版にあたり、ブリッジタワーではなくて、全く無関係のヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェル(1766-1831)に献呈されてしまいました。

本来であれば〝ブリッジタワー・ソナタ〟と呼ばれたはずなのに、残念なことです。

その女性はベートーヴェンにとってよほど大切な人だったのでしょうが、まさに、口は災いのもと。

一度も演奏しなかったクロイツェル

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ロドルフ・クロイツェル

クロイツェルは、フランスで活躍していたヴァイオリニストでした。

ナポレオンオーストリアとの戦争が、カンポ・フォルミオ条約でいったん講和となった際、フランス大使として1798年に赴任してきたベルナドット将軍に伴われてウィーンにやって来ました。

ベートーヴェンは、将軍から〝人民のために戦う英雄〟ナポレオンの功業を聴き、彼にシンフォニーを捧げる志を立てたといわれています。

また、クロイツェルのフランス流のヴァイオリン奏法にも大きな刺激を受け、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタにはフランスの影響が大きいとされています。

『クロイツェル・ソナタ』はいわばその総決算であり、作曲した1803年にはベートーヴェンはパリに行くことを計画していましたから、クロイツェルに献呈したのはその足掛かり作りだったのです。

この頃のベートーヴェンは〝フランス推し〟だったというわけです。

しかし、献呈を受けたクロイツェルは、この曲を一度も演奏しませんでした。

『すでに他人が演奏しているし、難しすぎる』というのがその理由でした。

確かに、自分のために作曲されたのでないことはバレバレでしたし、下心もミエミエでしたから、その気持ちは分かります。

それにしても、『クロイツェル』の名は、このソナタで永遠に後世に残っているのですから、皮肉なものです。

ベートーヴェンを揺さぶったアフリカ起源の音楽魂

文豪トルストイは、この曲を聴いてインスピレーションを搔き立てられ、人間の愛憎と狂気を描いた小説『クロイツェル・ソナタを著しました。

この曲が聴く人に与える衝撃は尋常ではありません。

私はその理由を、次のように想像します。

西洋クラシック音楽のあと、世界を席巻したのは、ジャズを代表とした黒人音楽です。

また、ブリッジタワーの父の出身地、カリブ海も音楽の聖地です。

人種に優劣はありませんが、黒人の音楽性の素晴らしさは誰もが認めるところでしょう。

その力は、クラシック音楽を〝現代の音楽〟から〝過去の音楽〟にしてしまいました。

黒人の血を引いたブリッジタワーの弾くヴァイオリンが人々を感動させたのは、彼の演奏にアフリカ音楽のDNAがあったからではないでしょうか。

そして、その音楽性にインスパイアされたベートーヴェンが、未来を先取りした〝モダン音楽〟を生み出したのだ、と思えてなりません。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 Op.47《クロイツェル・ソナタ

Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.9 in A major, Op.47

演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼールフォルテピアノ

Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)

第1楽章 アダージョ・ソステヌートープレスト

599小節に及ぶ長大な楽章で、これだけでも普通のシンフォニー1曲に匹敵する異常な規模です。イ長調の序奏がついていますが、これも彼のヴァイオリンソナタで唯一です。無伴奏のヴァイオリンから始まるのも斬新ですが、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番の有名な冒頭を思わせます。雰囲気も似ていますし、重音奏法なのも同じですから、バッハを当代に蘇らせた、古くて新しい試みではないでしょうか。半音下行で続くプレストのメインテーマを探り当てるかのようで、主部の予告となっています。

やがて始まるイ短調のプレストも、ヴァイオリンから奏で始められ、ピアノは後に続きます。この主客は時に立場を入れ替え、トータルでは対等な形で進んでいきます。この曲の初版楽譜の表紙には『ほとんど協奏曲のように、きわめて協奏的に書かれた、ヴァイオリン序奏つきのピアノ・ソナタ』と題されています。ジャンルとしては依然として『ヴァイオリン伴奏つきピアノ・ソナタ』とされていますが、その概念は前段の〝協奏的〟という言葉で否定されているわけです。しかし、協奏曲は独奏楽器とオーケストラが対等に演奏しますが、この曲ではヴァイオリンとピアノ、どちらが独奏楽器なのでしょうか。私には〝ヴァイオリン協奏曲〟に聞こえますが、ピアノ・パートも、同時期のピアノ・ソナタを超えた表現力を持っていて、音楽的にはやはり〝対等〟です。

プレストは開始以来、疾風怒濤の嵐がひとしきり続いたあと、第91小節からホ長調の穏やかなコラール調の第2主題が奏でられ、ひとときの平安に包まれます。このあたりは、やはりバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの『シャコンヌ』が思い出されます。

この平和はすぐに破られ、再びホ短調の嵐が始まったと思いきや、ピアノが全く新しい、さらに激しい情熱をはらんだ第3主題を繰り出し、ヴァイオリンがピチカートで和します。この瞬間にしびれない人はいないでしょう。

初演時に、ブリッジタワーは提示部の最後のフェルマータで、第1主題のピアノに出てくるアルペジオを即興で挿入したところ、ベートーヴェンは驚喜したと本人は回想しています。作曲者は演奏者の、演奏者は作曲者の特長や意図を、お互いに完璧に理解し合っていたということです。まさに奇跡のような出会いです。

展開部は第3主題を基本素材としながら、これまでの動機を駆使し、さまざまな複雑な転調を繰り返して、聴く人を魔境の恍惚に引き込んでいきます。この前衛ぶりは、現代でも衝撃的で、19世紀初めの音楽とはとても思えません。

第2楽章 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ

第1楽章の嵐とは全く別世界に誘われたかのような、優雅で穏やかな変奏曲です。テーマと4つの変奏からなります。テーマにあふれる幸福感は、グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』で、地獄から戻ってきたオルフェオのような心地です。初演でこの曲が一番受けたのも、第1楽章で当惑した聴衆が、これからどうなってしまうのか?と不安だったところに、心からホッとさせられたからなのかもしれません。

第1変奏はピアノが主奏で、天国の雲の上をスキップするかのような3連音のリズムの上に、玉を転がすような音を奏で、ヴァイオリンが天使の微笑みのように優しく合いの手を入れます。

第2変奏はヴァイオリンが主奏を代わり、さらに細かい32分音符で受け継ぎます。思わず一緒に体が踊り出しそうな楽しさです。

第3変奏は定石通り短調となり、二重奏で哀愁を奏でます。しかし、深刻すぎることはなく、ロマン派を先取りするかのような分厚い和音が神秘的な雰囲気を醸し出します。

第4変奏は再び明るい、天国的な長調に戻りますが、壊れそうなくらいに繊細です。ヴァイオリンのピチカートとピアノがこんなに絶妙にマッチする曲もなかなかないでしょう。聴くほどに胸がいっぱいになります。コーダでは、ピアノが瞑想的なカデンツァを奏すると、ヴァイオリンが優しいトリルで応じます。ここでも、第1楽章とは違った意味で、恍惚の世界に引き込まれてしまいます。

第3楽章 プレスト

フィナーレは軽快な舞曲です。この軽さを、第1楽章や第2楽章とは不釣り合い、とする人もいますが、それはこの曲の本質を誤解しています。先に見たように、もともとソナタ第6番の第3楽章として作られたこの楽章は、このソナタの出発点なのです。例えば第1楽章のあの第3主題は、この楽章の第2主題と関連付けられるなど、これまでのソナタにないくらい、3つの楽章がひとつのストーリーとして構成されているのです。結末が決まっていたからこそ、全体のドラマティックな構成が実現したといえるかもしれません。

最初、イ長調の和音がフォルテッシモで打たれますが、これは第6番用に作曲されたときにはなく、このソナタに転用されたときに付け加えられたものです。ピアニッシモで終わる前楽章の直後のフォルテッシモですが、聴く人を驚かせるためではなく、嬰ハ音で始まるこの楽章をへ音で終わる前楽章につなげるための〝接着剤〟なのです。

リズムは「タランテラ」で、南イタリア発祥の舞曲です。タラントという街に生息する毒グモの「タランチュラ」に刺されたら、踊り続ければ毒が抜ける、という伝説に由来します。(あるいは、刺された人は痛みで踊り続ける、という説も)

まさしく、毒にあてられたかのように、ヴァイオリンとピアノが踊り狂い、前楽章とはまた違った恍惚の世界に入っていくのです。

第1主題は3度上行し4度下行し、これをヴァイオリンとピアノがくんずほぐれつしながら展開させていきます。第2主題もさらに上がって下がる感を強めた愉快なものです。展開部では、転調もハ長調ニ短調ホ短調と2度ずつの上昇を繰り返し、悪魔的な舞踏の熱狂に引き込んでいきます。最初に作られたとは思えない、このドラマティックなソナタにふさわしいフィナーレです。

 

動画は、若手ヴァイオリニスト、ユーリ・レヴィッチがベートーヴェンの時代にタイムスリップした、という企画です。愛器はストラディヴァリウス『オーロラ姫』。第1楽章のエッセンスです。


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こちらは同じくレヴィッチの全曲演奏です。


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クロイツェル・ソナタと私 

私にもこの曲との出会いには、ほんのちょっとした思い出があります。

今から30年近く前、クラシックが好きだった大叔父が亡くなりました。

祖母の妹のご主人という、少し遠い人でしたが、四十九日も過ぎたある夜、私はふと思い立って、線香でも上げさせてもらおうと、ひとりで大叔母の家を訪ねました。

亡き大叔父は昭和の30年代から40年代にかけて、クラシックに凝っていて、FMラジオから流れる巨匠の名演を、せっせと当時最先端のテープレコーダーに録りためていたとのことで、このコレクションに価値があるかどうか、という話になりました。

そんな音源はたいがい今はCDになっているので、残念ながら価値はあまり無いでしょう、と言うと、大叔母はがっかりしたものの、凝り性だった大叔父の思い出話に花が咲きました。

大叔母が語るには、自分は夫の聴くクラシックにはほとんど興味は持てなかったけれど、『クロイツェル・ソナタ』だけは好きなの、とのことでした。

そしてふたりでこの曲に耳を傾けたのですが、私は聴くのはこれが初めてで、その激しさにビックリしました。

穏やかで上品、常に夫を立てて万事控えめだった大叔母が、たくさんあるクラシックの曲の中で、よりにもよって、なぜこんな荒々しい曲に惹かれたのか、不思議でなりませんでした。

その後大叔母も亡くなったので、その理由を聞けなかったのが今となっては心残りですが、この曲を聴くとき、老いた未亡人の独り住まいとなった、がらんとした家に響いた音色を思い出すのです。

トルストイの『クロイツェル・ソナタ

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レフ・トルストイ(1828~1910)

最後に、トルストイが小説『クロイツェル・ソナタ』でこの曲をどんな風に取り上げているか、に触れておきます。

この小説は、主人公が、長距離列車の中で偶然同席になった公爵から、自分は妻を殺した、という告白を聞く、という設定になっています。

あるとき公爵は、妻が自宅の夜会で、イタリア人の音楽家とこの曲を演奏しているのを聴きます。

最初はただただ感動していましたが、後日、ふとしたきっかけで、ふたりが不倫をしているのではないか、という疑いに取りつかれます。

それは音楽がなせる妄想かもしれない、と葛藤しながら出張を切り上げて帰宅すると、あにはからんや、妻は音楽家を家に連れ込んでいたのです。

そして、やましいことは何もない、という弁明も耳に入らず、問答無用で〝不貞の妻〟を刺し殺してしまうのです。

公爵の言の箇所を引用します。

 「二人はベートーべンのクロイツェル・ソナタを演奏したのです。あの最初のプレストをご存知ですか?ご存知でしょう!?」彼は叫んだ。「ああ!・・・あのソナタは恐ろしい作品ですね。それもまさにあの導入部が。概して音楽ってのは恐ろしいものですよ。あれは何なのでしょう?わたしにはわからないんです。音楽とはいったい何なのでしょう?音楽がどんな作用をすると思いますか?なぜ、ああいう作用をするんでしょうね?音楽は魂を高める作用をするなんて言われてますが、あれはでたらめです、嘘ですよ!たしかに音楽は効果を発揮します、恐ろしい効果を発揮するものです。わたしは自分自身のことを言っているのですがね。しかし、魂を高めるなんてものじゃ全然ありませんよ。魂を高めも低めもせず、魂を苛立たせる作用があるだけです。どう言ったらいいでしょうね?音楽は自分自身を、自分の真の状態を忘れさせ、自分のではない何か別の状態へ運び去ってくれるのです。音楽の影響で、実際には感じていないことを感じ、理解できないことを理解し、できないこともできるような気がするんですよ。わたしはこれを、音楽があくびや笑いのような作用をするというふうに、説明づけているんですがね。つまり、眠くもないのに、人があくびをするのを見ると、こっちまであくびをしたり、べつにおかしいこともないのに、人の笑い声をきいていると、自分も笑いだしたりするでしょう。

 この音楽ってやつは、それを作った人間のひたっていた心境に、じかにすぐわたしを運んでくれるんですよ。その人間と魂が融け合い、その人間といっしょに一つの心境から別の心境へ移ってゆくのですが、なぜそうしているのかは、自分でもわからないのです。たとえばこのクロイツェル・ソナタにしても、それを作ったベートーベンは、なぜ自分がそういう心境にあったかを知っていたわけですし、その心境が意味を持っていたわけですが、こっちにとっては何の意味もないんですよ。ですから音楽は人を苛立たせるだけで、決着はつけてくれないんです。そりゃ、勇壮なマーチが演奏されて、兵隊がそのマーチに合わせて行進すれば、音楽は効果をあげたことになります。ダンス音楽を演奏して、わたしが踊っても、音楽は効果をあげたことになるし、ミサ曲がうたわれる中でわたしが聖餐礼を受けた場合でも、やはり音楽が効果をあげたわけですが、さもないかぎり、苛立たしさをかきたてるだけで、しかも苛立たしさにかられながら、なすべきことがないんですからね。だからこそ音楽は時によると実に恐ろしい、実に不気味な作用を及ぼすのです。中国では音楽は国家的な事業とされていますね。これもまた当然ですよ。希望者はだれでもお互い同士、あるいは大勢の人間を催眠術にかけたあげく、それらの人間に好き勝手な振舞いをするなんてことが、はたして認められていいものでしょうか?しかもいちばん問題なのは、堕落しきった最低の背徳漢でも、その催眠術師になれるって点なのです。

 ところが、この恐ろしい手段が、相手かまわずだれの手にも入るんです。たとえば、あのクロイツェル・ソナタの導入部のプレストにしても、ですよ。いったい、肌もあらわなデコルテ・ドレスを着た婦人たちの間で、客間で、あんなプレストを演奏していいもんでしょうか?演奏が終われば拍手して、そのあとアイスクリームを食べながら、最近の世間話にふけるなんて。ああいう作品を演奏してよいのは、一定の、重要な、有意義な状況の下に限られるので、それも、その音楽にふさわしいような一定の重要な行為をなしとげることが要求される場合だけです。その音楽によってムードをかきたてられたことを演じ、実行するというわけですよ。さもないと、時と場所にも似合わずにかきたてられたエネルギーや情感が、なんらはけ口を見いだせぬまま、破滅的な作用を及ばさずにはいませんからね。少なくともわたしに対しては、あの作品は恐ろしく効き目がありました。気のせいか、まるでそれまで知らなかった、まったく新しい情感や、新しい可能性がひらけたかのようでした。ああ、こうでなければいけないんだ、これまで自分が考えたり生活してきたやり方とはまったく違って、まさにこうでなければいけないんだ、と心の中で告げる声があるかのようでした。わたしがつきとめたこの新しいものが、いったい何だったのか、はっきりさせることはできませんでしたけれど、この新しい状態の自覚はきわめて喜ばしいものでした。妻もあの男もふくめて、相も変らぬ同じ人々が、まったく別の光に照らされて見えてきたのです。

 このプレストのあと、二人は通俗なバリエイションをつけた、美しくこそありますが月並みで新味のないアンダンテと、まるきり迫力のないフィナーレを奏し終えました。それから、客たちのアンコールにこらえて、エルンストのエレジーと、さらにいくつか、さまざまな小品を演奏しました。それらはどれも立派なものでしたけれど、最初の一曲がもたらした感銘の百分の一も、わたしは受けませんでしたよ。それらはすべて、最初の曲のもたらした感銘を背景として、演奏されたのですからね。私は夜会の間、終始、心が軽やかで快活でした。その晩のような妻の姿を、わたしはかつて見たことがなかったのです。演奏している間の、あの光かがやく目や、端正さ、表情の厳粛さ、そして演奏し終わったあとの、何か身も心もすっかり溶けてしまったような風情や、かよわい、いじらしい、幸せそうな微笑。わたしはそれらすべてを目にしました。しかし、妻もわたしと同じ気持ちを味わっているのだ、わたしと同じものが啓示され、まるでついぞ味わったことのない新しい情感が思い起こされたような気持ちになっているのだ、ということ以外、そこに何ら別の意味を付さなかったのです。夜会は無事に終わり、客たちも引きあげました。*2

このあと、公爵は出張中に、妻からの手紙に音楽家からまた合奏しようと誘われたが断った、というくだりがあるのを読んで、あの演奏がフラッシュバックし、ふたりの仲への疑いが一挙に沸き上がり、猛烈な嫉妬にかられることになります。

妻の演奏を聴いて幸せだった気持ちが、一気に逆の〝破滅的な作用〟 をし始めたのです。

妻の冷たい骸に向き合って、公爵は初めて自分のしでかしたことの重大さを思い知り、大いに後悔します。

そして、なぜこんな取り返しのつかないことをしてしまったのか、と激しい悔恨に苛まれるなかで、『クロイツェル・ソナタ』のせいだ、と思い至るのです。

トルストイは音楽のなす作用の功罪、特にその恐ろしさを『クロイツェル・ソナタ』の第1楽章から受け止めて、巧みに表現しています。

主人公は第2楽章、第3楽章については、通俗的で月並み、と評していますが、これがトルストイの評価かどうかは分かりません。

いずれにしても、トルストイは第1楽章に、サロン音楽とは全く異質のものを感じ、この作品を書くに至りました。

小説はフィクションですから、陰惨な妻殺しなどと曲を結びつけたくはありませんが、ベートーヴェンのこの作品が文豪の魂を揺さぶり、音楽とは何か、を深く考えさせた結末なのは、まぎれもない事実なのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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*1:ベートーヴェン事典』土田英三郎氏訳・東京書籍 

*2:トルストイ『クロイツェル・ソナタ原卓也訳・新潮文庫