テーマは何か?
ベートーヴェンの2曲セット『2つの幻想曲風ソナタ 作品27』の2曲目が、有名な〝月光ソナタ〟〝ムーンライトソナタ〟です。
ピアノソナタといえばまずこの曲の名が思い浮かぶ、ソナタの王者です。
まさに降り注ぐ月の光のように幽玄な第1楽章。
短いけれど憧れで胸がいっぱいになる第2楽章。
地獄から湧き上がるかのような激しい情念に圧倒される第3楽章。
この曲の与えるインパクトの強烈さから、ベートーヴェンがなぜこの曲を書いたのか、彼はこの曲にどんな思いを込めたのか、作曲当時から作曲者の死後に至るまで、様々な説、解釈が唱えられてきました。
いわく、叶わない恋へのやるせない思いをぶつけた。
いわく、盲目の少女に月光の美しさを伝えるために捧げた。
いずれもロマンティックなエピソードで、この曲を聴く人は、これらの〝伝説〟に思いを馳せることになります。
そうすると、この謎めいた曲の解釈に答えを与えられた気がして、悶々とせずにすみまます。
しかし、これらのエピソードは架空の話に過ぎないのです。
むしろ、誤った先入観を与え、曲の解釈を誤ったイメージに固定し、悪くすれば曲を通俗的なものにしかねません。
〝ニックネームの功罪〟の罪が特に大きい曲ともいえます。
この傾向はベートーヴェンの生前からあり、彼は勝手な解釈をつけられるのを苦々しく思っていた、という話も伝わっています。
では、ベートーヴェンがこの曲を作ったコンセプトは何なのでしょうか。
その答えは彼は示してくれていませんが、少なくとも〝誤解〟は解いていきましょう。
〝叶わぬ恋〟説
この曲は、1802年に出版された際、伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディ(1784-1856)に献呈されました。
ジュリエッタは本名はユリアで、当時ハプスブルク家領だったイタリアのトリエステで生まれました。
父のフランツ・ヨーゼフ・グイッチャルディは、1800年にウィーン駐在のボヘミア領事館員になり、家族を伴ってウィーンに出てきます。
ジュリエッタの美貌はたちまち社交界の評判となりました。
彼女は15歳でベートーヴェンに弟子入りします。
既にベートーヴェンに師事していたハンガリーのブルンスウィック姉妹、テレーゼとヨゼフィーネ(ダイム伯爵夫人)の従妹にあたり、そのご縁だったと考えられます。
ベートーヴェンはこの美しく才気ある美少女に夢中になります。
彼は、親友ヴェーゲラーに宛てた1801年11月16日付の手紙で、持病である胃腸病と難聴の悩みを打ち明けたあと、最近あることで気分が晴れたと言って、次のように述べています。
私の人生はいま一度わずかに喜ばしいものとなり、私はまた外に出かけて人々の中にいます。この2年の間、私の暮らしがいかに侘しく、悲しいものであったか信じがたいことでしょう。今回の変化は、ひとりの可愛い魅力に富んだ娘のためなのです。彼女は私を愛し、私も彼女を愛しています。2年ぶりに幸福な瞬間がやってきました。結婚して幸せになれるだろうと考えたのは、これが初めてです。ただ、残念なことに身分が違うのです。そして今は、今は私は彼女と結婚などできやしないのです。
ベートーヴェンはなかなか女性との交際について書き残していないので、珍しい記述です。
病に打ちひしがれ、2年間、人との交わりを避けて引きこもっていたのが、彼女との出会いで、再び世間に顔を出せるようになった、というのです。
ジュリエッタの人となりはあまり伝わっていませんが、コケティッシュな〝陽キャ〟だったようです。
あの頑固なベートーヴェンの心を融かし、外に引っ張り出したのですから、すごいお嬢様です。
ベートーヴェンのことを好きだったのは間違いありませんが、真剣な恋愛というより〝先生だぁ~い好き!!〟といったノリだったかもしれません。
彼女は16、7歳。ベートーヴェンは30歳になっていましたが、自分の年を勘違いしていましたから本人は28歳くらいのつもりです。
久しぶりに彼女ができて、しかも初めて結婚してもいいと思った、と告白しているのです。
しかし、相手は伯爵令嬢。
身分違いで、結婚は最初からあきらめていたことも分かります。
シンドラーはこの手紙から、ベートーヴェンの〝永遠の恋人〟はジュリエッタであると伝記に記しましたが、それはあり得ません。
また、このソナタを、身分の差から結婚できない無念の思いを込めて作曲し、ジュリエッタに捧げた、というストーリーも、全く間違いです。
彼女に約束した曲を他の女にあげた!?
なぜなら、もともとジュリエッタには別の曲が献呈されるはずだったからです。
それは、ロンド ト長調 作品51-2でした。
しかし、パトロンのリヒノフスキー侯爵の妹ヘンリエッテに急遽、何か曲を献呈しなければならなくなり、ジュリエッタ用に作曲されていたこの曲はヘンリエッテに捧げられてしまいました。
ジュリエッタがプンプンしたかは記録に残っていませんが、その埋め合わせに献呈されたのがこのソナタなのです。
ロンドよりはるかに大規模で気合の入ったこの労作は、弟子ではなく、もっと大物に献呈されるべきものでしたが、これがジュリエッタへの代償として捧げられたということは、なだめるためだったかもしれません。
こんなやりとりを想像します。
『せんせー!聞いたわよ!あたしのための曲を、あんなオバちゃんにあげちゃうなんて、ひどくない!?』
『ごめんよ、ほんとにごめん!オトナの事情ってやつでさ。代わりに、新しい嬰ハ短調のソナタをキミに捧げるから、許してくれよ。』
『えー?あの難しくてごっつい曲?ロンドの方がかわいくて気に入ってたのに…』
『このソナタは、あんな小さな曲と違って、どこかの王妃さまにでも捧げようと思ってた傑作なんだぞ!楽譜の表紙にでかでかとキミの名前が載るんだからね。わたしのプリンセスちゃん、機嫌直してよ…』
『せんせ、ほんとにあたしのこと好きなの?』
『ほ、ほんとだよ!愛してるよ!』
『じゃ、許してあげよっかな。』
では、本来、ジュリエッタに献呈されるはずだったロンドを聴いてみましょう。
Ludwig Van Beethoven:Rondo in G major, Op.51-2
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
当時のベートーヴェンにしては、装飾的要素の濃い、ロココ的な作品です。
ジュリエッタのことをどう思っていたか、ある程度感じられる気がします。
とても愛らしく、中間で全く調性やテンポが異なる部分が出てきて意表を突きますが、〝月光〟の世界観とはまるで違う18世紀的な響きです。
割り切って結婚した令嬢
ジュリエッタは、献呈の翌年、1803年11月に、ヴェンゼル・ロベルト・フォン・ガレンベルク伯爵(1783-1839)と結婚しました。
ガレンベルグ伯爵は、ウィーンの作曲家で、ベートーヴェンと同じくアルブレヒツベルガーに師事し、バレエ音楽を得意とし、そこそこの評価を得ていました。
同じ作曲家でしたが、こちらは貴族だったので、ジュリエッタと結婚できたのです。
伯爵は、後にケルントナートーア劇場の楽譜管理主任となり、オペラ『フィデリオ』をめぐって、ベートーヴェンともほんの少し関わりを持つことになります。
ということで〝月光ソナタ〟の作曲には、ジュリエッタは全く関係がない、と言ってよいでしょう。
ただ、身分制度のせいで、愛する女性と結婚できなかった悔しさが、ベートーヴェンの心情や信条に大きな影響を与えたのは間違いないと思われます。
ナポレオンを、自由・平等のため、人民のために戦う英雄と信じて傾倒したのにも、この叶わなかった恋愛が響いているように思います。
ジュリエッタの方も、恋愛と結婚は別、と割り切って、ウィーンで名高い先生のお気に入りであることを楽しんでいたかもしれません。
ベートーヴェンを敬愛していた従妹のテレーゼやヨゼフィーネを出し抜くような、小悪魔的な気持ちがあったかどうかは分かりませんが。
ともあれ、ベートーヴェンの死後、〝永遠の恋人〟はジュリエッタだ、と伝記に書いたシンドラーの記述に、テレーゼは〝お粗末なこと〟と呆れています。
ベートーヴェンの本命は妹ヨゼフィーネであることを、テレーゼは誰よりも知っていたはずです。
ヨゼフィーネについてはこちらの記事に書きました。
www.classic-suganne.com
〝月の光〟との関係
このソナタが〝月光〟と呼ばれるようになったのは、音楽評論家のルートヴィヒ・レルシュタープ (1799-1860)が、第1楽章を『スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう』を評したことによります。
ベートーヴェンの死後5年経った、1832年のことでした。
そして、このキャッチコピーは、曲のイメージにベストマッチして、10年も経たないうちに〝ムーンライトソナタ〟の名が印刷物で出回ることになりました。
そして、この曲を聴く人は、誰もが静かな湖面に映る月の光を思い浮かべることになったのです。
しかしそれは、ベートーヴェンが全く意図していなかったことなのは言うまでもありません。
私も1992年に、ルツェルンに架かる有名なカペル橋を渡ったとき、この曲を思い出していました。
カペル橋は翌年に焼け落ちてしまい、ニュースを見てビックリしましたが、すぐ再建されたということです。
盲目の少女のエピソード
盲目の少女のために作曲された、というのは、19世紀にヨーロッパで創作された物語で、日本では戦前の教科書に載っていたため、私の祖父母の世代ではみんな知っていた話です。
教科書に載っていたら、実話と信じてしまうでしょうが、全くのフィクションです。
ちょっと長くなりますが、全文を引用します。
十六 月光の曲
ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い時のことであつた。月のさえた夜、友人と二人町へ散歩に出て、薄暗い小路を通り、ある小さなみすぼらしい家の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。
「ああ、あれはぼくの作つた曲だ。聞きたまへ。なかなかうまいではないか。」
かれは、突然かういつて足を止めた。
二人は戸外にたたずんで、しばらく耳を澄ましてゐたが、やがてピヤノの音がはたとやんで、
「にいさん、まあ何といふいい曲なんでせう。私には、もうとてもひけません。ほんたうに一度でもいいから、演奏會へ行つて聞いてみたい。」
と、さも情なささうにいつてゐるのは、若い女の聲である。
「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂へない今の身の上ではないか。」
と、兄の聲。
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。友人も續いてはいつた。
薄暗いらふそくの火のもとで、色の靑い元氣のなささうな若い男が、靴を縫つてゐる。そのそばにある舊式のピヤノによりかかつてゐるのは、妹であらう。二人は、不意の來客に、さも驚いたらしいやうすである。
「ごめんください。私は音樂家ですが、おもしろさについつり込まれてまゐりました。」
と、ベートーベンがいつた。妹の顔は、さつと赤くなつた。兄は、むつつりとして、やや當惑のやうすである。
ベートーベンも、われながら餘りだしぬけだと思つたらしく、口ごもりながら、實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが──あなたは、演奏會へ行つてみたいとかいふことでしたね。まあ、一曲ひかせていただきませう。」
そのいひ方がいかにもをかしかつたので、いつた者も聞いた者も、思はずにつこりした。
「ありがたうございます。しかし、まことに粗末なピヤノで、それに樂譜もございませんが。」
と、兄がいふ。ベートーベンは、
「え、樂譜がない。」
といひさしてふと見ると、かはいさうに妹は盲人である。
「いや、これでたくさんです。」
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛けて、すぐにひき始めた。その最初の一音が、すでにきやうだいの耳にはふしぎに響いた。ベートーベンの兩眼は異樣にかがやいて、その身には、にはかに何者かが乘り移つたやう。一音は一音より妙を加へ神に入つて、何をひいてゐるか、かれ自身にもわからないやうである。きやうだいは、ただうつとりとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も、まつたくわれを忘れて、一同夢に夢見るここち。
折からともし火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆらゆらと動いて消えてしまつた。
ベートーベンは、ひく手をやめた。友人がそつと立つて窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入り込んで、ピヤノのひき手の顔を照らした。しかし、ベートーベンは、ただだまつてうなだれてゐる。しばらくして、兄は恐る恐る近寄つて、 「いつたい、あなたはどういふお方でございますか。」
「まあ、待つてください。」
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲をまたひき始めた。
「ああ、あなたはベートーベン先生ですか。」
きやうだいは思はず叫んだ。
ひき終ると、ベートーベンは、つと立ちあがつた。三人は、「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。かれは、再びピヤノの前に腰をおろした。月は、ますますさえ渡つて來る。
「それでは、この月の光を題に一曲。」
といつて、かれはしばらく澄みきつた空を眺めてゐたが、やがて指がピヤノにふれたと思ふと、やさしい沈んだ調べは、ちやうど東の空にのぼる月が、しだいにやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度はいかにもものすごい、いはば奇怪な物の精が寄り集つて、夜の芝生にをどるやう、最後はまた急流の岩に激し、荒波の岩に碎けるやうな調べに、三人の心は、驚きと感激でいつぱいになつて、ただぼうつとして、ひき終つたのも氣づかないくらゐ。
「さやうなら。」
ベートーベンは立つて出かけた。
「先生、またおいでくださいませうか。」
きやうだいは、口をそろへていつた。
「まゐりませう。」
ベートーベンは、ちよつとふり返つてその娘を見た。
かれは、急いで家へ歸つた。さうして、その夜はまんじりともせず机に向かつて、かの曲を譜に書きあげた。ベートーベンの「月光の曲」といつて、不朽の名聲を博したのはこの曲である。
底本:文部省『初等科國語 七』(1943年)
〝では、月の光を題に1曲〟などと、俳句のような作曲の仕方はしないと思いますし、貧しい兄妹、しかも盲目の少女のために無償で弾いてあげるなんて、実に日本人の好きそうな美談になっていますが、何しろ教科書に載っているわけですから、日本人がベートーヴェンを好きになるのに決定的な影響があったのは間違いありません。
第1楽章の『ちやうど東の空にのぼる月が、しだいにやみの世界を照らすやう』 、第2楽章の『いかにもものすごい、いはば奇怪な物の精が寄り集つて、夜の芝生にをどるやう』、第3楽章の『急流の岩に激し、荒波の岩に碎けるやうな調べ』という表現も、曲の鑑賞に重要な道しるべを与えました。
ただ、第2楽章の批評にはあまりピンとこず、むしろ第3楽章にふさわしいのではないか、と思ったりしますが、やはり聴く人によって印象は違ってくるのでしょう。
創作物語ができてしまうくらい、この曲はドラマチックなわけです。
テーマは祈り?
それでは、恋でも叙景でもないとしたら、このソナタは何を主題にしているのでしょうか。
もちろんベートーヴェンはそれを明示していませんが、彼に身近な人たちは、この曲に宗教的なものを感じていました。
カール・チェルニーは『夜景、遥か彼方から魂の悲しげな声が聞こえる』と評し、ベートーヴェン研究家のアドルフ・マルクスも宗教的なタイトルをつけましたが、普及はしませんでした。
実際、第1楽章で、揺らぐ連音に乗って、高音が厳粛な旋律をゆっくりと奏でますが、第17小節から出てくる「シードーラ#ーシ」という音型は、バロック時代に「十字架音型(クロイツ音型)」と呼ばれ、イエスの受難を暗示するものでした。
4音の最初の音と最後の音が同じで、左右に十字を切るわけです。
バッハも多用し、平均律クラヴィーア曲集第2巻第20曲イ短調のフーガは、この音型を使っています。
この楽章には十字架がそっと埋め込まれていると考えると、曲の解釈がだいぶ変わってきます。
十字架にかかったイエスを想い、祭壇で祈りを捧げている姿が思い起こされ、『スターバト・マーテル』『ピエタ』といった、悲しみの聖母像が浮かんでくるように感じます。
実際、19世紀にはこの曲に『アヴェ・マリア』や『キリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)』という歌詞がつけられ、歌われていたという記録もあります。
ピアノソナタ 第12番には『ある英雄の死を悼む葬送行進曲』が組み込まれましたが、この曲には『受難』『祈り』といった宗教的なテーマがあるのかもしれません。
これも、諸説ある中のひとつの仮説ではありますが。
第1楽章をあえて欠いた曲
では、そろそろ曲を聴いていきましょう。
この曲も、セットの第13番と同様、「幻想曲風ソナタ」と題され、第1楽章がソナタ形式を取っていません。
3楽章構成ですが、いわばスタンダードな4楽章制から、あえて大事な第1楽章を外し、第2楽章の緩徐楽章から始めたスタイルです。
そのため、終曲となる第3楽章の重要度が増しているわけです。
起承転結の「結」である最終楽章を重視しつつあったベートーヴェンの取り組みの一環といえるのです。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.14 in C sharp minor, Op.27-2 "Moonlight"
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
第1楽章 アダージョ・ソステヌート
冒頭に、現代のピアニストを悩ませる指示が書いてあります。まず「Semper pianissimo e Senza Sordino」。〝弱音器(ソルディーノ)なしで、常にピアニッシモで〟という意味ですが、当時のピアノにはソルディーノ・ペダル(弱音ペダル)はなく、膝で操作するダンパーしかありませんでした。そのため、ソルディーノなし、ということは、消音機能のあるダンパーを上げ続けて、ということになります。そうすると、音は鳴りっぱなしになりますから、音が次の音と混じって濁ってしまいます。そのため、常に弱く、という注文がついているのです。これは現代のピアノでは不可能といっていいでしょう。当時のフォルテピアノでこそできる技です。現代のピアノであえてこれをやって、音が濁ることをベートーヴェンは意図していたのだ、と言うピアニストがいますが、それは間違っています。弦の鳴るままに余韻を残しながら、かつ濁らせてはいけないのです。さらに上段には、全曲を通してデリケートな響きで、という指示があり、これがまさに、月光と湖水との霊妙な対話をイメージさせたのです。
三連音のアルペジオが揺らぐ上に、聖歌のような旋律が乗っていきます。嬰ハ短調のくぐもった響きが「夜」を思い起こさせます。中間部では、だんだんと高揚しますが、徹底した抑制のもとにあり、不安な情緒も水底に封じ込められるかのようです。
やがて冒頭のテーマが再現し、消え入るように終わります。
動画は、エリック・ジヴィアンによるフォルテピアノの演奏です。(第1楽章)
www.youtube.com
第2楽章 アレグレット
前楽章の最後の和音が消えるや否やに弾き始めるように、という指示があります。ダンパーを上げる、という第1楽章の指示からも、「余韻」というのがこの曲のコンセプトかもしれません。通常のソナタでは第3楽章にあたる舞踏楽章ですが、形式としてはメヌエットともスケルツォともいえません。フランツ・リストはこの曲を〝2つの深淵の中の一輪の花〟と評しました。主部はレガートとスタッカートが呼応し、軽快なステップの中にも、何ともいえない甘美な想いがあふれます。トリオはさらに幸福感が満ち、愛の言葉をささやいているかのようです。この楽章は、主調の嬰ハ短調の異名同音となる変ニ長調をとっていますが、異名同音でも五度域が違っていますので、不思議な効果を生み出します。この手法はロマン派に大きな影響を与え、ショパンも『幻想即興曲』で使っています。
(第2楽章)
www.youtube.com
第3楽章 プレスト・アジタート
フィナーレとなる第3楽章も、前楽章から切れ目なく演奏するように指示があります。甘美なひと時の夢が一転、激しい嵐に巻き込まれていくかのようです。変転自在に見えて、しっかりしたソナタ形式で構成されています。しかし、第1主題、第2主題にさらに第3主題が加えられて、内容的にはシンフォニーに匹敵する濃さです。地獄の釜が開いたかのような、地底のマグマが湧き上がるかのような第1主題は、およそ旋律と呼べるものではありません。それを受け止める第2主題は、何かを叫びながら疾走していきます。第3主題はさらに畳みかけるように聴く人に迫り来ます。展開部の最後では静かにピアニッシモまで音を落として、一瞬の闇を生みます。そして再現部。経過的な句は省略され、ストレートにコーダに突き進みます。即興的なアルペジオ、そしてカデンツァ風に盛り上げてゆき、一瞬のアダージョで油断させておいて、一気にフォルテッシモで曲を閉じます。
これまで、こんなピアノ曲はこの世にありませんでした。現代のロック魂も及ばないのではないか、という激しい情念です。
ひとつの曲に、少しでも力を入れたらだめになってしまう繊細さと、鍵盤も壊れるのではないかという激しさを盛り込むとは、全く尋常の沙汰ではありません。
しかし、それゆえに、数々の謎と伝説を生み出しつつ、人々に愛されてきたといえます。
(第3楽章)
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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