賛否の渦巻くなか、東京オリンピックが1年延期ののちに開幕しました。
日本にとっては2回目となる歴史的なイベントですが、ここまで波乱の連続だったのも、近代オリンピック史に永く刻まれることでしょう。
物議はこれからも続くでしょうが、開かれた以上は無事、成功裡に終わることを祈ってやみません。
また、コロナ禍の中、わざわざ来日してくれた世界の方々に、行動不自由な中ではありますが、日本の良さを少しでも味わっていただきたいものです。
東日本大震災のときには、被災した人々が譲り合い、助け合っていた姿が世界中の人々に感銘を与えました。
そしてコロナ禍。
日本での感染者数は、諸外国の感染者、犠牲者数と比べると桁違いに少なく抑えられています。
生物学的な理由、ファクターXもあるかもしれませんが、日本人の生活習慣における衛生意識の高さが寄与していると考えます。
災害の中だからこそ、清潔で、礼儀正しく、譲り合いの精神で他人を思いやる日本人の姿を、ぜひこの機会に世界に見てもらいたいと思います。
オリンピックをテーマにしたオペラ
さて、昨年のベートーヴェンイヤー以来、これまで彼の曲をずっと聴いてきましたが、今回は中断して、オリンピックにまつわる曲を取り上げたいと思います。
時代をベートーヴェンの頃からざっと100年近く戻すことになりますが、1734年にヴェネツィアのサンタンジェロ劇場で上演されたオペラ『オリンピアーデ』です。
作曲者は、『四季』を書いたアントニオ・ヴィヴァルディ。
『グロリア』以降の記事でも書きましたが、ヴィヴァルディはコンチェルトの作曲家として有名ではあるものの、実際はたくさんのオペラを作曲し、またプロデュースまでした興行師でした。
自分では93曲のオペラを作曲した、と手紙に書いていますが、これは盛りすぎにしても、多くの作品を作り、上演したのは事実です。
形ばかりの聖職者であったヴィヴァルディはもはや、世俗の権化のような作曲家でした。
しかし、そのオペラは現在ではほとんど上演されません。
古楽ブームが起こってからバロック・オペラの上演も盛んにはなってきましたが、それでもまだヘンデルが中心です。
ただ、ヴィヴァルディのオペラは、私もまだほとんど聴けていませんが、ノリがよく、また抒情的な曲も多いので、だんだんスポットライトが当たっていくのではないでしょうか。
その中でも、オリンピックを題材にした『オリンピアーデ』は、しっかり楽譜が残っていることもあり、上演される機会のある数少ない作品です。
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同じ台本に60人の作曲家が曲をつけた!
台本は、有名なオペラ台本作家、 ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)のものです。
オペラの歴史でメタスタージオの偉大さは燦然たるものがあります。
イタリア出身で、ウィーンの宮廷詩人となり、たくさんのイタリア語オペラ台本を書いて、「オペラ・セリア(正歌劇)」を確立しました。
その台本はふつう40社ほどが出版し、たくさんの台本に違う作曲家が曲をつけました。
中でも『オリンピアーデ』は、60を超える作曲がされた大ヒット作です。
1732年にアントニオ・カルダーラが神聖ローマ皇帝カール6世の皇后の祝いに最初に作曲し、次がヴィヴァルディでした。
カール6世はヴィヴァルディの大ファンでしたから、その意向もあったかもしれません。
それに続いたのは、有名な作曲家だけでもペルゴレージ、レオナルド・レーオ、ドメニコ・アルベルティ、トンマーゾ・トラエッタ、ニコロ・ヨンメッリ、バルダッサーレ・ガルッピ、ヴィンチェンツォ・マンフレディーニ、ヨゼフ・ミスリヴェチェク、ドメニコ・チマローザ、ジョヴァンニ・パイジェッロ、アドルフ・ハッセ…。
メタスタージオのオペラ中のアリアを抜粋し、独立した作品として作曲したものはモーツァルトにも数曲あり、実はベートーヴェンにもあるのです。
こちらは、若きベートーヴェンが『オリンピアーデ』の中の一場面につけた曲です。
ベートーヴェン:『おお、いとしき森よ』WoO119
Ludwig Van Beethoven:O cara selve, o cara, WoO119
アンナ・ボニタティブス(ソプラノ)、アデーレ・ダロンゾ(ピアノ)
ベートーヴェンがウィーンに出てきて、名声が上がりはじめた1794年から1795年にかけて作曲されました。
メタスタージオの台本は古典化して、オーソドックスなものとされていたので、若きベートーヴェンも基本をしっかり押さえたわけです。
モーツァルトも最晩年に、プラハ市から皇帝レオポルト2世のボヘミア王としての戴冠記念オペラとして、メタスタージオの『皇帝ティートの慈悲』を作曲、上演しました。(台本は他の作家が大幅にアレンジしたもの)
このオペラもさんざん作曲し尽されていましたし、晩年のモーツァルトとしては古臭い題材になっていましたが、やはり国王戴冠という場では、格式高い伝統ある台本が選ばれたのでしょう。
オペラのあらすじ
さて、これほど人気の『オリンピアーデ』ですが、全曲はとても取り上げられないので、序曲と数曲だけとし、あらすじをご紹介したいと思います。
といっても、かなり込み入った設定と展開なので、ほんとに粗い筋になりますが。
ギリシャのポリス、シチオーネの僭主(古代ギリシャの都市国家ポリスは基本民主政ですが、時々独裁者が出ました。王ではないので僭主と呼ばれます)、クリステネは次のオリンピックの主催者(組織委員会の委員長?)になったので、優勝者への報酬として、自分の美しい娘アリステアを優勝者に娶せる、と宣言します。
実際の古代オリンピックには金メダルはなく、まして女性が賞品になることなどなく、月桂冠のみで、本当の報酬は、永遠に残る公式記録に名が刻まれるという栄誉でしたが、このあたりはメタスタージオの脚色です。
アリステアは、オリンピックで数度優勝したアテネの青年メガクレと恋人同士でしたが、父はアテネ嫌いだったのでメガクレを追放していました。
メガクレは、流れ着いたクレタ島で盗賊に襲われたところ、クレタの王子というリーチダに助けられ、友情を結びます。
リーチダはリーチダで、父王から反対された恋に苦しんでいました。
婚約を交わした恋人アルジェーネの身分が低いということで許されず、王子を惑わしたとして命の危険を感じた彼女は、エリス(エリデ)の町へと逃げ、羊飼いに身をやつして隠れ住みます。
さて、そんな中、4年に一度のオリンピックが迫ってきました。
エリスは、ゼウス神殿のあるオリンピア近郊の町で、古代オリンピック創始者の出身地でした。
その縁で、オリンピックの開催事務は、エリスがずっと担い、審判も町の人が務める伝統だったのです。
今のIOCのような役割をしていた町です。
クレタ代表選手として選ばれた王子リーチダは、しぶしぶエリスにやってきますが、そこで、〝賞品〟として出されていたアリステアに一目惚れしてしまいます。
行方の知れないアルジェーネへの思いを新しい恋で断ち切ろうとしたのです。
俄然やる気になったリーチダですが、王子だから代表になっただけで、競技には自信がありません。
そこで、何度も優勝したことがあるという親友メガクレに、自分の身代わりに出場してくれ、と頼みました。
そして、友情のため、メガクレは、リーチダの身代わりとなって出場し、見事優勝しますが、優勝者特典の花嫁がアリステアだと知って愕然。
アリステアも、これでメガクレと結婚できると思ったら、リーチダという他人名義で出ていたということを知り大混乱。
また、エリスの町で一部始終を見、リーチダとの再会を喜んでいたアルジェーネも、その心変わりを知って大ショック。
いたたまれなくなったメガクレは逃亡して自殺を図ります。
そして、リーチダは、身代わり出場という、ドーピングどころではない不正を犯した罪で、クリステネから死刑を宣告されます。
ゼウス神殿で生贄として捧げられることになったリーチダの前に、アルジェーネが飛び出しかばいます。
そして、リーチダからの贈り物をクリステネに示すと、それは、彼が昔、不吉なお告げによって、泣く泣く捨て子にしたアリステアの双子の兄の身につけたアクセサリー。
リーチダは実はクレタの王子ではなく、クリステネの長男だったのです。
クリステネは再会を喜び、全ての罪を許し、ふたりのカップルは結婚を許されてめでたし、めでたし、となります。
近代オリンピックがピエール・ド・クーベルタン男爵(1863-1937)によって始められるのは1896年ですから、このオペラが書かれた頃は、オリンピックは古代の話でしかなかったわけですが、時は古典主義時代。
ルネサンスを経て、バロックから古典派の時代は古典古代ブームの真っ只中ですから、古代ギリシャに特別な競技会があったことは知識人の間では知られていました。
オリンピック復興は、クーベルタン男爵の単なる思い付きではなく、古典主義の長い流れの末に行われたことなのです。
古代オリンピックがどういうものだったか、簡単に振り返ってみます。
古代オリンピックは、紀元前776年に始まりました。
ローマが建国されたのは紀元前753年といわれていますから、それよりも前です。
しかも、ローマの方は、狼に育てられたロムルスとレムスの兄弟によって造られた、という、神話じみた伝説の世界です。
第1回オリンピックの年代がなぜわかるのかというと、第1回から優勝者の名前がしっかり記録されているからです。
さすが古代ギリシャ文明、と感心させられます。
オリンピックはじまりの物語
なぜ開催されたのか、ということには、次の話が言い伝えられています。
オリンピアの近郊で、オペラの舞台となったエリスという町に、イフィトスという指導者がいました。
当時、ギリシャは都市国家ポリスに分かれていましたが、ポリス同士の諍い、戦争が絶えず、さらに疫病が広まって人々は困窮の極みになりました。
災厄は人の心を荒らし、生き残るために争いが生じます。
イフィトスは、全ギリシャ人の信仰を集めていたデルフィのアポロン神殿に赴き、巫女に『戦争を中止させたい』という願いを告げます。
そして得た神託の内容は『競技会を復活せよ。そしてその間はあらゆる争いをやめよ。』というものでした。
〝デルフィの神託〟は当時絶対的な権威がありました。
ギリシャ各地の人々が集まって催す競技会は昔からあったようなのですが、おそらく中断してしまっていたのでしょう。
その復活から古代オリンピックは始まったのです。
オリンピックは反戦、平和の催し
第1回競技会はゼウス神殿のあるオリンピアで開催され、以後も、途中1回だけローマ皇帝によって無理やりローマ開催されましたが、ずっとオリンピアで行われ、約1200年続けられました。
競技会開催期間中は、本当に戦争は休戦となり、訴訟も中断されました。
全ての争いごとは中止されたのです。
「聖火リレー」は古代にはなく、1928年の第9回アムステルダム大会から始まりましたが、古代では、選ばれた3人の使者がオリーブの冠をかぶり、杖を持ってギリシャの全てのポリスをめぐり、停戦を告げ知らせて回ったことが起源になっています。
これは「スポンドフォロイ(停戦を運ぶ人)」といわれ、『一切の争いをやめよ!』と呼ばわって回ったのです。
そのため、中止になるのは戦争の方で、古代オリンピックは1回も中止になりませんでした。
近代オリンピックも、クーベルタン男爵の、世界から戦争をなくしたい、という思いから復活されましたが、残念ながら、まもなく勃発した2度の大戦では戦争は中断されず、大会の方が中止になってしまいました。
古代オリンピックは、つかの間とはいえ、平和なひとときをもたらすものでした。
競技会が終わったら再開された戦争もありますが、お互い休戦期間中に頭を冷やして、ほかの解決方法を探したり、スポーツで相手国を負かして留飲が下がったり、ということで、そのまま争いが収まったこともあったでしょう。
オリンピックが平和の祭典といわれるゆえんであり、それゆえにIOCのバッハ会長は、日本で五輪が開かれる機会をとらえて、広島の平和祈念公園を訪問し、オリンピック精神を世界にあらためて知らしめようとしたのだと思いますが、このコロナ禍に国内を回るな、という非難の声にかき消されてしまったのは残念なことです。
日本は、どの国よりも反戦・平和をリードすべき立場にあることを忘れてはならないと思います。
さて、オリンピックが4年に一度、というのは古代からの伝統です。
いや伝統、というより、暦といった方がよいでしょう。
この暦をオリンピアード(オリンピック紀元)、といいます。
第1回が開かれた紀元前776年7月8日から、4年周期で年を数え、年代については第〇〇回オリンピアード第〇年、と称します。
開会式での天皇陛下の開催宣言は『私はここに、第32回近代オリンピアードを記念する東京大会の開会を宣言します』というもので、オリンピック憲章による定型文「祝い」が「記念する」に変更されたことが話題になりました。
コロナ禍でたくさんの犠牲者が出ている中で、「祝い」という言葉はふさわしくない、として変更になったと報じられていますが、〝大会の開催を祝う〟のではなくて〝新しい4年のはじまりを祝う〟というのが歴史的な意味です。
変更したのが政府なのかオリンピック委員会なのか分かりませんが、おそらく、『これだけ多くの国民が開催に反対しているオリンピックの実施を、天皇陛下が〝お祝いする〟というのはいかにもまずい。開催を内心危ぶまれていると拝察される天皇陛下が、開催を支持している、というように受け取られかねない。』という判断なのではないかと思います。
しかし、定型文の意味からすれば、『新年を祝う』という一般参賀のお言葉と同じ主旨ですから、変更するとかえって政治的な意味合いが入ってしまってどうなのかな、と思わなくもありません。
今年スタートの第700回オリンピアード!
ちなみに、近代オリンピアードが古代から4年周期を続けているのかというと、実はそうではありません。
古代のスタートがBC776年で、近代のスタートがAD1896年。
776+1896=2672で、これは4で割り切れますから、続いていると思いきや、この計算だと「西暦0年」があることになってしまうので、実は1年ズレているのです。
そのため、実は、延期になった今年、2021年こそ、古代紀元から数えてぴったり4年刻みの年であり、しかも、古代から通算すると第700回オリンピアードの第1年、というキリ番のすごい年回りなのです!
古代オリンピアードは7月スタートで、西暦の1月スタートともズレていますので。
トラブル続きで踏んだり蹴ったりの大会ですが、実は1年延期によって、「お祝い」にも「記念」にもふさわしい、またとない貴重な回になっていたのです。
次の節目、第800回は400年後ですからね!
まさに横暴、暴君ネロ
さて、古代オリンピックは、ギリシャがローマ帝国に征服されてからも続き、イベント好きのローマ人たちを喜ばせました。
中でもローマ皇帝、暴君ネロは、出場したいばかりに、自分の都合で開催を2年遅らせました。
そして、自分ののど自慢を披露するために、種目に「音楽」を加え、長々と歌いまくりました。
それは聞くに堪えないものだったと言われます。
しかも途中退場したら殺されかねないので、会場で出産せざるを得なかった妊婦や、急死したことにして棺桶に入って外に運び出してもらった人もいたとか。
まるでジャイ〇ン…。
ネロはお手盛りで金メダル7個を獲得しましたが、死後それは公式記録から抹消されました。
延期されたのはこのときだけで、その次の回は2年後に開催され、4年周期は続きました。
古代オリンピックが終わったのは西暦393年の第293回大会でした。
前年に、ローマ皇帝テオドシウスが、キリスト教を国教とし、異教を禁じたためで、ゼウスをはじめとしたギリシャの神々に捧げる祭典は禁止させられたのです。
オリンピックを終わらせたのはキリスト教でした。
古代オリンピックがうまくいき、停戦ができたのは、皆同じ神を信仰していたから、その神託を守った結果といえます。
近代オリンピックがその理想を再現するためには、宗教、人種、民族、イデオロギーなど、様々な違いを乗り越えないといけないわけです。
しかしながら、近年のオリンピックはショービジネス化していて、高い理想をみんなで実現する、という感じがしません。
こうなる前は、大赤字を開催国が税金で何年もかかって補填する、という状態だったようなので、存続のためには仕方がない面もありますが、公式スポンサー企業、団体以外は一切排除する、というポリシーはオリンピック精神とは相容れないものです。
スポンサーも、宣伝効果や商品販売など、露骨な見返りを求めていて、文化振興に陰ながら尽くす、という姿勢ではありません。
今回、かなり当てが外れた、大損をした、という企業、団体もあるでしょうから、今後、行き過ぎた営利重視の見直しにつながれば、と思います。
一部の企業や団体の利益のために開催されるイベントの負債を、国民が後の世代まで背負う、という構図になってしまったら、何のためのオリンピックか分かりません。
世界のどこかでは今でもどこかで戦争、紛争、内戦が行われています。
クーベルタンの初心を思い出して、古代の英知に思いを馳せる機会にしたいものです。
これだけたくさんの国々が集うイベントが、今まさに、他ならぬ日本で行われているというのは、やはりすごいことですから。
ヴィヴァルディ:オペラ『オリンピアーデ』RV725
Antonio Lucio Vivaldi:L'Olimpiade, RV 725
演奏:リナルド・アレッサンドリーニ指揮 コンチェルト・イタリアーノ
Rinaldo Alessandrini & Concerto Italiano
序曲はイタリア式に速い楽章から始まります。序曲(Overture)という言い方もフランス式ですから、ここではシンフォニアと称されます。いきなり元気のいいリトルネッロから始まり、近づいては遠ざかっていくかのよう、まるで激しいつむじ風が吹きすさぶようです。中間部では短調に転じ、シリアスな雰囲気も醸し出します。グルック以前のイタリア・オペラでは、こうした曲に劇中の物語は反映していないと考えた方がよいですが、アスリートの華々しい競技風景が思い浮かびます。再び冒頭のテーマに戻って、いかにもオペラの始まりにふさわしく盛り上げます。イタリア式序曲は急ー緩ー急の3部構成ですので、このあと、アンダンテとアレグロが続きます。
こちらの動画は、ヴィヴァルディの自筆譜を追っています。ヴィヴァルディは印刷譜だけでなく、自筆譜もヴェネツィアのお土産として売っていましたので、とても美しいです。
www.youtube.com
アリア『その駿馬は近くの宿に』
(リーチダ)
その駿馬は近くの宿に
彼の行く手は誰にも止められない
少しくらいの恐怖では止まらない
命令でも止まらない
魂が希望に満ちたとたん
恐れもなく
忠告も耳に入らない
目の前の快楽にもう夢中だ
愉しみが来ると考えたとたんに
第1幕第3場、リチーダが、メガクレが自分の身代わりになってオリンピックに出場することを、まかせておけ、と快く引き受けてくれたので、もはや何の心配もなく出発できる、と狂喜して歌います。いかがなものか、という筋ではありますが、音楽はワクワクするような楽しいアリアで、競技に臨むアスリートたちの決意が思い浮かびます。聴いて元気が出ます。
合唱つきアリア『おお、いとしき森よ』
(アルジェーネと羊飼いたち)
おお、いとしき森よ
幸いなる自由よ!
ここで喜びを味わう者に裏切りはない
だが喜びをさらに甘美なものにするには
愛の競争と忠誠が欠かせない
ベートーヴェンが曲をつけたのと同じアリアです。苦しい愛から逃げ、羊飼いに扮したアルジェーネが、田園暮らしの素晴らしさを、仲間の羊飼いたちと歌う牧歌的な曲です。ベートーヴェンの音楽も、ヴィヴァルディの音楽に雰囲気がかなり似ています。
アリア『眠っている間に、愛の刺激が』
(リーチダ)
眠っている間に、愛の刺激が訪れるだろう
あなたは夢の中で幸せに満足する
それは私の満足でもある
風は穏やかに流れよ
すべての音は止まれ
西風はやさしく吹け
オリンピック会場についたメガクレは、最愛の人が優勝の報酬となっていることにショックを受けます。勝てば、その人はリーチダのものになってしまい、負ければ親友リチーダへの約束を裏切ることになります。愛と友情の板挟みになって混乱するメガクレの苦悩も知らず、リーチダは、試合前だからゆっくり眠り、休むよう勧めて、子守唄のようにこの歌を歌います。悩みを作った張本人なのにずいぶん能天気な場面ですが、音楽はどこまでも優しく、このオペラで一番人気のあるアリアとなっています。
もともとはカストラートのパートですので、ソプラノ、またはカウンタテナーのレパートリーとなっています。動画はクリストファー・ローリーの歌唱です。
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こちらはフランスの若手古楽アンサンブル、ジュピター・アンサンブルのプロモーション動画です。ヴィヴァルディの優しさが沁みます。
www.youtube.com
たくさんの作曲家が音楽をつけたオペラですが、その様々な曲をつなげた面白いアルバムもあります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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