再び、ベートーヴェンのピアノソナタの世界に戻ります。
作品31の2曲目、第17番 ニ短調《テンペスト》です。
そのドラマチックな曲想と、通称がついていることから、広く親しまれている人気曲です。
しかしここでも、通称がついていることからのメリット、デメリットがみられます。
《テンペスト(嵐)》の名は、〝嘘つきシンドラー〟の書いたベートーヴェン伝の記述から取られました。
ある時シンドラーは、ベートーヴェンに『作品57 ヘ短調、作品29 ニ短調のソナタ2曲を理解する鍵を与えてほしい』と頼んだところ、一言、『「テンペスト」を読め』と言われた、という話です。
作品57は今では《アパッショナータ(熱情)》の通称で呼ばれています。
「作品29」はのちの出版で「作品31」に改められました。
『テンペスト』は言うまでもなくウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の最後の戯曲で、1611年に初演されました。
シンドラーは、難解な短調の2曲について尋ねたわけで、特にニ短調の曲に特定したわけではないのです。
しかし、ヘ短調の方に〝熱情ソナタ〟という名がついたので、残るこちらだけが〝テンペスト〟と呼ばれるようになりました。
しかも、このエピソードそのものがシンドラーの捏造でした。
納得してしまうほどの捏造
アントン・シンドラー(1795-1864)は、ベートーヴェンの「無給の秘書」として14年も巨匠の側にいた、と言っていますが、実際には死の前、最後の5年程度といわれています。
ですから、この曲が書かれた頃には出会ってもいないのです。
それに、ベートーヴェンが自作の解釈のヒントを出すなど、他に例がありません。
有名な、〝運命が戸を叩く〟というのも、シンドラーの真っ赤な嘘です。
ただ、150年ものあいだ信じられ続け、捏造と分かった今でも、曲を聴くときにイメージが頭から離れないのは、まさにプロ級の詐欺師の技です。
なるほど・・・と思わされてしまうほど、曲想にぴったりの逸話に出来ているからです。
そもそも、ベートーヴェンの曲は、弾く側、聴く側に勝手な解釈を許してくれません。
ハイドンやモーツァルトの曲は、聴き手を楽しませよう、感動させよう、と考えて作られているので、分かりづらい、ということは少ないですし、自分の感興に合わせて、自由に受け取ってよい気楽さがあります。
しかし、ベートーヴェンは、特に〝新しい道〟に入ってからは、自分の魂の求めるものを創造していきます。
聴く側は、ベートーヴェンが何を表現しようとしているのか、熟考を重ねなければなりません。
しかも、それには永遠に答えは与えられません。
それが芸術というものですが、あまりにもどかしく、ベートーヴェンに直接訊けたら・・・という思いになります。
シンドラーは、その心理につけこみ、〝巨匠に信頼されていた私は尋ねることができたのだよ〟と自慢するために嘘をついたわけです。
生前には真逆で、〝盲腸野郎〟とまで罵倒されていたのに。
そんなわけで、ベートーヴェンがシェイクスピアの戯曲を念頭にこの曲を書いたというのは、全くあり得ないことになります。
しかし、曲がりなりにもベートーヴェンの側にいた人が、この曲に『テンペスト』の世界を感じた、というのは事実です。
当時のドイツ人がシェイクスピアをどう受け止めていたのか、その受容史としては価値ある話とはいえます。
ベートーヴェンとシェイクスピア。
時代とジャンルを超えて、精神における共通点を見出そうという観点があったのです。
というわけで、直接の関係はなくても、ベートーヴェンを解釈する鍵と考えられた『テンペスト』のあらすじを見てみます。
シェイクスピアの劇作は、『ヘンリー6世』『リチャード3世』のような史劇から始まり、『じゃじゃ馬ならし』のような喜劇や『ロミオとジュリエット』のような悲劇など、幅広い作品を世に出し、『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』の四大悲劇で頂点に達します。
そして、晩年には魔法が登場する不思議な「ロマンス劇」といわれるジャンルに至り、『テンペスト』を生涯最後の作品とし、故郷のストラットフォード・アポン・エイボンに引退して、5年後に世を去ります。
『テンペスト』は特に謎が多い作品となっています。
位を追われ、孤島の主となった大公
ミラノ大公のプロスペローは、学術研究に没頭するあまり、政治がおろそかになり、弟アントーニオに位を奪われ、追放されます。
プロスペローは、多くの書籍を携え、幼い娘のミランダと、地中海の孤島に流れ着きます。
彼はそこで魔法の研究を究め、空気の妖精エアリエルを手下とし、今は亡き島の主だった魔女の息子、怪物キャリバンを奴隷として島を支配します。
12年の歳月が経ち、ミランダは美しい妙齢の娘になっていました。
あるとき、島の沖合を、仇敵の弟、現ミラノ大公アントーニオと、ナポリ王アロンゾー、その王子フェルディナンド、そしてナポリ王の老忠臣ゴンザーロら、貴人を乗せた船が通りかかります。
それを知ったプロスペローは、絶好の復讐の機会であると、妖精エアリエルに命じて船を嵐に襲わせ、難破させます。
魔法によって起こされた嵐
第1幕はその嵐の場面で、パニックになった船上からはじまります。
嵐も難破も、魔法のなせる幻想で、実際には人命も船も失われることはなく、乗客は島のあちこちに散り散りに打ち上げられます。
ナポリ王は、大切な後継ぎであるフェルディナンド王子が遭難死したと思い、悲嘆に暮れます。
ナポリ王の弟セバスチャンは、これで王位は自分に回ってくると、内心ほくそ笑みます。
そのような中、奴隷キャリバンは、船乗りたちと手を組んで、プロスペローから島の支配権を奪い返そうと謀反を試みますが、あっけなく鎮圧されます。
フェルディナンド王子は、プロスペローの策によってミランダと会わされ、ふたりは狙い通り恋に落ちます。
そして、一行の前に姿を現したプロスペローは、ナポリ王に再会し、身を明かすとともに、ファーディナンドとミランダのカップルを紹介します。
ナポリ王は狂喜して、ミラノ大公国を返還し、ミランダを未来のナポリ王妃として迎えることを約束します。
プロスペローは、弟も怪物キャリバンも赦し、妖精エアリエルも解放して、幕となります。
そして、幕切れにプロスペローは、ひとり舞台に立ち、観客に呼びかけます。
『すべての魔法は消えました。
このあと、私が婚儀のためにナポリ、そしてミラノに戻れるかどうかは、皆さまの拍手次第。
どうか盛大な拍手で、私の運命を決めていただきたい。』
これは、シェイクスピアの引退宣言ではないか、といわれています。
観客に魔法をかけ続けたシェイクスピアの、実に意味深なせりふです。
権力争いと、植民地支配と
また、この物語は、ミラノ、ナポリといった国々や貴族同士の権力争いと、魔法の島における支配権争いが並行して描かれています。
特に、魔法の島の奴隷キャリバンは、もともと当地の支配者の血筋であり、ヨーロッパによる植民地支配における、現地人を表しているのではないか、とされています。
そのため、最後まで冷たい仕打ちを受け続けます。
当時の政治状況を巧みに風刺している、というのが主流の解釈となっています。
ではいったい、シンドラーは、この戯曲のどこを、ベートーヴェンのピアノソナタと結び付けようとしたのでしょうか。
それも分かりませんが、冒頭、船を襲った嵐(テンペスト)を表していると考えるのが自然かとおもいます。
船には、過去の様々な所業や因業を抱え、さらに野心や陰謀、思惑を胸に秘めた人々が、呉越同舟の奇妙な運命共同体となって一緒に乗っていました。
それを襲ったのは本当の嵐ではなく、魔法使いが起こした架空の嵐であり、それ自体が復讐の怨念がなしたものでした。
人間の欲と野望が非現実の嵐となって、幕が開いたとたんに観衆の前に現れます。
この嵐と、ベートーヴェンが鍵盤上に巻き起こす嵐がオーバーラップする、というのが、シンドラーと同時代人が感じた印象なのかもしれません。
根拠のない通称ですが、このソナタを、プロスペローのように、ベートーヴェンが人を惑わすために起こした魔法、と思って聴くのも、せっかくついた通称の味わい方のひとつではないか、と思うのです。
シェイクスピアの『テンペスト』のあらすじを簡単に紹介した動画です。日本語字幕の設定があります。(モバイルでは「CC」のタップと言語選択が必要です)
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また、2012年のロンドン・オリンピック開会式では、『テンペスト』の魔法の島を模した舞台の上で、第3幕第2場のキャリバンのセリフが、シェイクスピア俳優ケネス・ブラナーにより朗読されました。
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(キャリバン)
こわがることはねえぜ。
この島はいつも物音や歌声や音楽でいっぱいだが、楽しいだけで悪いことはなんにもしねえ。
ときには何百何千って楽器が耳もとでブーンとひびくことがある、かと思うと、歌声が聞こえてきて、ぐっすり眠ったすぐあとでもまた眠くなることもある。
そのまま夢を見ると、雲が割れてそのあいだから宝物がおれの上に降ってきそうになる、そこで目が覚めたときなんか、もう一度夢の続きをみてえと泣いたもんだ。
(小田島雄志訳)
英国でのオリンピックをシェイクスピアの夢の島にたとえた演出でした。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.17 in D minor, Op.31-2 “Tempest”
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
冒頭、ラルゴの美しいアルペジオが、嵐の前の静けさのようです。これは序奏のようですが、実は第1主題の一部であり、そのあとにアレグロ、そしてアダージョと、たった6小節のうちにテンポがめまぐるしく変わります。メインテーマそのものがテンポを変える、というのが新機軸なのです。せわしないフレーズが何度も迫りくる嵐のようですが、ニ短調は、ハ短調のような情熱や、ロ短調のような暗さはなく、激しさの中にも華やかな軽い感じのあるマイナーですので、爽やかさも感じます。ベートーヴェンがお気に入りの、モーツァルトのピアノコンチェルト 第20番 ニ短調にもつながる気分があります。第2主題はイ短調で、左手の低音で現れますが、やがて右手のシンコペーションが切迫感をもって暴れはじめます。
再現部では、ラルゴのあと、なんとオペラのレチタティーヴォ(叙唱)が奏でられます。器楽でレチタティーヴォ、というのは、ベートーヴェンはこれから時々やる手法で、第九のものが有名です。なにをしゃべっているのか?何か隠されたセリフがあるのではないか、と思いますが、それは分かりません。いずれにしても、この曲はこれによって、さらにドラマチックになっているのです。劇と比べられるのも故なしではありません。レチタティーヴォのあとの盛り上がりがこの楽章のクライマックスですが、音楽学者の西原稔氏によれば、本来ここでは3点変ロ音まで上昇して、一気に下行するとおろ、当時のピアノではそこまで高い音はでなかったので、3点ニ音までで諦めて、非和声音も含んで音程を狭めながら弱音での終止にせざるを得なかったのではないか、と指摘しています。しかし、もっと高い音が出せる現代のピアノで〝本来の姿〟にしても、ベートーヴェンが苦渋の末で選んだ不協和な措置の方が、やはり味わい深い、とも結論づけています。楽器の性能の限界が生み出した名曲であるともいえるのです。
第1楽章と同じ?と思わせる弱奏のアルペジオで始まります。変ロ長調になっていて、これもモーツァルトのニ短調コンチェルトと同じです。憧れに満ちた歌が奏でられますが、やがて、左手が不気味な低音のフレーズを奏でます。これは、ティンパニを表しているといわれますが、葬列の太鼓のように不吉に聞こえるのは私だけでしょうか。その音はやがて、高音が応答し始め、不思議な音の綾を紡いでいきます。
終わりに近づき、ピアノは華麗に上から下行しますが、ここでも、当時の音域をほぼ目一杯使っています。当時、ベートーヴェンが使っていたのは、ウィーンではほかにはハイドンしか持っていない、パリのエラール製の最新式ピアノでしたが、それでも5オクターブが限界でした。
第3楽章 アレグレット
この、ショパンのエチュードのように華麗で切ないフレーズに魅了されない人はいないでしょう。流れは一瞬も途絶えることなく、16音符で駆け回ります。まるで無窮動の渦の中にいるような気分になります。この第1主題は、馬の足音から思いついた、といわれています。第2主題はイ短調ですが、すぐに変奏を繰り返し、さらに渦巻いていきます。展開部に入っても、あえてほかの素材は使われず、その発展が最大限追求されていきます。余計なものは加えず、ひとつの素材を徹底的に工夫し、その魅力を引き出していくベートーヴェンの道に圧倒されます。
この終わらない音の連鎖に、人々の数奇な運命の絡み合いを想像し、シェイクスピアの人間模様を重ねてしまうのは、自然なことなのかもしれません。
しかし、ベートーヴェンが表わそうとしたものは、正解は与えられないまま、想像していくしかありません。
ベートーヴェンがこの曲を作曲した1802年製のフォルテピアノによる演奏です。英国製ですが、パリのエラール社のものに近いアクションを使っています。
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ボリス・ギルトブルグの現代ピアノによる演奏も、高評価をいただいていますので載せておきます。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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