自ら、対トルコ戦の戦場に出て指揮を執った皇帝ヨーゼフ2世は、連戦連敗。
あげくは指揮の混乱から味方の同士討ちまで演じました。
兵士は飢餓とマラリアの蔓延に苦しみ、皇帝も持病の肺病を悪化させて、9ヵ月以上の遠征を切り上げて1788年12月5日にウィーンに帰還。
でも、その10日後の12月15日にはブルク劇場で、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を観覧しています。
そして、『このオペラは絶妙である。あるいは「フィガロ」よりもさらに美しいかもしれない。しかし、我々ウィーン人の口に合う食物ではない。』という感想を述べています。
体調は最悪だったはずですが、ウィーン市民に元気な姿を見せて安心させようとしたのでしょうか。
でも、皇帝の音楽に対する興味は、戦陣にあっても衰えなかったのは事実です。
プラハで空前のヒットとなった『ドン・ジョヴァンニ』がウィーンで初演されたのが同5月7日。
これを観た皇帝侍従の夫人は、『音楽が難しく、あまり歌に向いていないと思う。』と周囲に感想を漏らし、この話は戦場にある夫から皇帝にも伝わったと思われます。
また、皇帝に従って戦陣にあった、ヨーゼフ2世の甥で、のちに皇帝フランツ2世となるフランツ大公の妃、エリザベート・フォン・ヴュルテンベルクは、5月15日に夫に宛てた手紙で、『ここ数日、モーツァルトの作曲になる新作オペラが上演されましたが、噂ではあまり大した成功ではなかったとのことです。』と書き送っています。
翌5月16日には、ヨーゼフ2世は劇場監督ローゼンベルク伯爵に、『モーツァルトの音楽はまこと歌には難しすぎる。』と書き送っており、戦場にあっても評論していたのです。
それだけ、当時の音楽は統治に密接していた、ともいえます。
対トルコ戦争の開戦直前に、ヨーゼフ2世から、逝去した大家グルックの後任として、年俸800グルデンの『皇室王室宮廷作曲家』の官職をもらったモーツァルトは、御用作曲家らしく、この戦争を鼓舞する曲を何曲も作曲しています。
今回は、それらの音楽をご紹介します。
まず、その代表といえるのが、ドイツ語軍歌『我こそは皇帝なり』K.539です。
作詩はヨハン・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・グライム(1719-1803)で、1788年2月の開戦後の3月7日、レオポルトシュタット劇場で、人気俳優フリードリヒ・バウマンによって歌われました。
モーツァルト:ドイツ語軍歌『我こそは皇帝なり』K.539
Wolfgang Amadeus Mozart:Ich möchte wohl den Kaiser sein!
演奏:ラインハルト・ペータース指揮 ウィーン・ハイドン管弦楽団、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(バス)
我こそは皇帝なり!
オリエントを揺るがして
イスラム教徒どもを震えあがらせてやる!
コンスタンティノープルは俺のもの!
コンスタンティノープルは俺のもの!
コンスタンティノープルは俺のもの!
(繰り返し)
なんとも子供っぽい歌詞ですが、ヨーゼフ2世の心境もこれに近いものがあったでしょう。
国民を困窮させた戦争ですが、政府は開戦時にはこんなふうに好戦ムードを盛り上げようとしたのです。
この音楽は映画『アマデウス』で仮面舞踏会のシーンで使われています。
さらにモーツァルトは、同年8月11日に1曲の歌曲を作曲します。
シンフォニー《ジュピター》を完成させた翌日でした。
作曲の動機は分かっていませんが、自発的に作るとは思えないので、政府筋か、貴族からの依頼と思われます。
内容は、皇帝ヨーゼフ2世から兵士への勅令という形をとり、皇帝からの言葉に軍隊が勇躍するさまが描かれています。
モーツァルト:歌曲『戦場への門出に』K.552
Wolfgang Amadeus Mozart:Lied "Beim Auszug in das Feld" , K.552
演奏:ハンス・ペーター・プロホヴィッツ(テノール)、ルドルフ・ヤンセン(ピアノ)
皇帝ヨーゼフは軍隊に呼びかけた
わが言葉を忠実に守るように、と
彼らは翼のように突進し、勝利と栄光を求めている
子供が愛する父親を慕うように
悪行や危険が父を悲しませないように
どこに行っても糧食に不足はない
英雄の働きは感謝と尊敬に値するではないか?
しかしさらに戦いは男の胸を鋼にする
神が彼らを豊かな沃野に導く
全ての兄弟は法と人類を守るために立ち上がり
人々の幸せを高めるために剣は研がれている!
勇敢なる戦士よ、勇気をもって戦え
名誉の冠のために!
神が天の玉座からあなたの英雄的な血に報いるだろう
モーツァルトは〝威厳をもって〟と指示しています。
皇帝の勅令は、調和を表す3度の和音と、6度の平行進行で語られ、3連音符で兵士が戦場に急ぐ様が描写されます。後半は穏やかに、神と皇帝の慈悲が讃えられます。
実際の戦場は飢えと疫病で生き地獄でしたが…。
舞踏会で軍楽!?
宮廷作曲家としてのモーツァルトの主な仕事は、宮廷舞踏会へのダンス音楽の提供でしたが、開戦直前の1月23日には、『戦闘』と題されたコントルダンス(田園舞曲)を作曲しています。
この曲は『我こそは皇帝なり』とともに、3月19日の「ウィーン時報紙」に広告が出され、「皇帝陛下の現役の楽長モーツァルト氏作曲の、ドイツ兵の『新軍歌』とダンス『ベオグラードの攻囲』」と書かれています。
戦況については前回取り上げましたが、ベオグラードの陥落は老将ラウドン将軍が再起用されるまで1年半もかかりました。
Wolfgang Amadeus Mozart:Contredanse "La Battaille", K.535
演奏:オルフェウス室内管弦楽団
有名な宮廷舞踏会場、レドゥーテンザールでの舞踏会用のダンス音楽です。開戦準備にあわただしいウィーン宮廷で、のんきに舞踏会が催されているのも驚きですが、これも戦意昂揚の機会だったのでしょう。短い曲ですが、「第1部」「第2部」「第3部」「第4部」「トルコ行進曲」と段落が表示されています。「第2部」では小太鼓にピッコロ(フラウティーノ)、トランペットといった軍楽で使われる楽器が加わり、勇ましさを盛り上げています。「トルコ行進曲」では低弦のパートに「弓でたたいて」と書かれていますが、これは弓の棒で弦を叩く奏法(コル・レーニョ)であり、勇壮な効果を狙ったモーツァルトの発想です。
敵国トルコを表す音楽
ヨーゼフ2世が帰還し、戦況が膠着する中、宮廷舞踏会では戦意のキープが課題だったようで、モーツァルトは1789年2月のカーニバルのためにもドイツ舞曲を提供しており、ここでも勇壮な軍楽調や、敵国トルコ風の音楽となっています。
モーツァルト:6つのドイツ舞曲 K.571
Wolfgang Amadeus Mozart:6 Deutsche Tänze, K.571
演奏:コンチェルト・ケルン
武骨とされるドイツ舞曲ですが、細やかな装飾が施されています。この装飾は全曲を通して使われます。
トリオがトルコ音楽でよく使われるイ短調となり、異国情緒を醸し出しています。
軍隊調の力強い調子です。厭戦気分を吹き払おうとしているのでしょうか。トリオは遠く戦場から進軍ラッパが響いてくるかのようです。
これも強い調子ですが、やや切迫感を醸し出し、変化をつけています。トリオはどこかおどけた調子で、戦時中であることを忘れた感じがします。
これまでの音楽の中ではやや落ち着き、洗練された感じを受けます。トリオも叙情豊かです。失われた平和を懐かしく思い出しているかのようです。
フィナーレはシンバルも伴い、勇壮な軍楽に戻ります。トリオはトルコ調で、モーツァルトが若い頃に作曲したヴァイオリン・コンチェルト 第5番 イ長調 K. 219《トルコ風》と同じフレーズが出てきます。最後は、あっけないように、つぶやく和音とピツィカートで終わります。
讃えられたゲーム・チェンジャー
前回取り上げたように、この年の夏、戦況はやや好転し、7月31日、コーブルク将軍(1737-1815)(フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト)率いるオーストリア軍と、名将スヴォーロフ将軍率いるロシア軍が、フォクシャニの戦いでオスマン軍を撃破します。
コーブルク将軍は、9月22日にもスヴォーロフ将軍と協力し、マルティネスの戦いでトルコ軍に壊滅的な打撃を与え、ルーマニアの首都ブカレストを含むワラキア地方をハプスブルク家領として確保します。
モーツァルトは、この年の冬のシーズン用の舞曲として、コントルダンス『英雄コーブルクの勝利』を作曲しました。
Wolfgang Amadeus Mozart:Contredanse "Der Sieg vom Helden Coburg", K.587
演奏:オルフェウス室内管弦楽団
最初は、田園舞曲らしく穏やかな調子で始まります。すると唐突にトランペットのファンファーレが鳴り響き、コーブルク将軍を讃えるハ短調の勇壮な音楽となります。最後は行進曲となり、楽しく楽観的な雰囲気で終わります。
戦争に協力したとされる芸術家が、戦争が終わったあとに非難されるという事例はよくありますが、それは時代が変わったから言えることであって、社会全体が戦争賛美の雰囲気に染まっているときに、それに逆らうというのは難しいことです。
まして、モーツァルトの時代には反戦などという概念すらありませんでしたが、逆に、このような音楽の助けが必要なほど、「民意」というのが育っていたことも興味深い事実です。
ヨーゼフ2世のような、進歩的で民主的な考えをもった君主が、逆に人民を苦しめる戦争を何度も行ったという矛盾をみてきましたが、現代になっても、残念ながらそのような矛盾は解消されていない、と言わざるを得ません。
いよいよ、その矛盾した君主の悲劇的な最後が近づいてきます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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