孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

母帝の憂鬱。世紀の結婚は実現したけれど。~マリー・アントワネットの生涯2。ハイドン:交響曲 第82番 ハ長調《熊》

〝お見合い写真〟としてジョゼフ・デュクルーが描き、フランスに送られたマリー・アントワネットの肖像

なかなかまとまらなかった縁談

女帝マリア・テレジアの末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネットフランス王家との縁談は、1766年、彼女がまだ11歳のときには両国の間で始まっていたようです。

女帝の方は、宿敵プロイセンフリードリヒ大王が、いつまた侵略してこないとも限らないので、大国フランスとの同盟が決定的に強固なものとなるこの縁談を、一刻も早くまとめたかったのですが、フランスのルイ15世は承諾の姿勢は見せるものの、なかなか話を具体化させようとしません。

というのも、花婿候補は王太子ルイ・フェルディナンの嫡子、ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世なのですが、その父と、母マリー=ジョゼフ・ド・サクスがこの結婚に反対でした。

ルイ・フェルディナンは、放蕩者の父王とは正反対の、敬虔で厳格、保守的な性格でした。

また、マリー=ジョゼフはハプスブルク家と微妙な関係にあるザクセン選帝侯の娘でしたから、どちらかというとプロイセン寄りともいえました。

しかし、ルイ・フェルディナンは即位することなく1765年に、妃マリー=ジョゼフは1767年に逝去してしまい、ルイ15世の孫であるルイ・オーギュストが王太子となって、一転、この縁談が進む状況となりました。

プロポーズは男性側からしてもらわなければなりませんが、永年のライバルであった大国同士、どちらも、一方が一方に懇願する形は何としても避けたいと考えていました。

そうこうするうちに、幼女は12歳、13歳と、だんだん女性らしく成長していきます。

1769年、ようやくルイ15世から、皇女を王太子の妃にいただきたい、という正式な縁談申し込みの書簡が女帝に届きました。

これまでヨーロッパを何度も戦火に巻き込んできたハプスブルク家ブルボン家が、ついに手を結んだ瞬間でした。

両国のメンツがかかった、世紀の結婚

マリー・アントワネット肖像画王太子に見せるルイ15世

結婚式は1年後と決まりましたが、準備には短いくらいです。

大国のメンツがかかっていますから、両国の担当者がどれだけ頭を悩まし、内外の折衝に苦労したか、容易に想像できます。

文書の形式、儀礼の運び、列席者の選定と序列、両家で異なるしきたりをどう折り合いをつけるか、輿入れ行列の人数、行程、儀式…。

日程が決まっていたからこそ妥協ができましたが、日の縛りがなければ永遠に答えの出ないことばかりだったでしょう。

両国とも財政は破綻寸前、いや実質的にはすでに破綻していたともいえる状況でしたが、莫大な費用が費やされました。

1770年4月19日、ウィーンのアウグスティン教会で、結婚式が挙行されました。

相手のルイ・オーギュストはフランスから来ることはありませんので、兄フェルディナンド大公が代理人を務めての挙式でした。

21日には、もはやブルボン家の一員となったマリー・アントワネットが、オーストリアにおける一切の権利を放棄する儀式が厳粛に行われました。

そして、ルイ15世が特注して差し向けた、豪華で快適な馬車に乗り込み、女帝はじめ皇室一家に別れを告げ、6頭立て馬車48台という大行列でフランスに旅立ったのです。

いずれ的中してしまう、母帝の不安

マリー・アントワネットの輿入れ行列

15歳のマリー・アントワネットがどれほど心細かったかは想像に難くないですが、それ以上に心配だったのは母帝マリア・テレジアです。

国家プロジェクトをまずは思惑通りに成し遂げはしたものの、マリー・アントワネットにフランス王妃などという大役が務まるのかどうか。

これまでの娘たちの小国の嫁ぎ先とはわけが違います。

まして、可愛らしく魅力的ではあるもの、勉強嫌いで軽率さが隠せない、一番頼りない娘が、よりによって当たってしまった。

女帝は、手紙で王妃を遠隔操作し、自分のロボットにするしかない、と決意します。

そして、娘がまだオーストリアにいた21日付で、フランスに着いたら読むようにヴェルサイユに手紙を出すのです。

指針 毎月読むこと

4月21日、旅立ちの日に。毎朝、目を覚ましたらすぐさまベッドを離れ、跪いて朝のお祈りを唱えて、神の教えを解く書物を読みなさい。ほんの5、6分であれ、これはほかのことに取りかかる前に、あるいは誰かとおしゃべりを始める前に、必ず行わなければなりません。すべては1日の良き始まりに関わること、1日の始まりにあたっての心構えに関わることであり、これさえ間違いなく行えば、取りに足らぬ事柄ですら功徳のあるよう立派に行うことができます。これこそ、あなたが心に銘記しておくべき事柄です。あなたが私のこの助言を守るかどうかは、もっぱらあなた次第です。*1

指針は非常に長く続きますが、内容はさらに核心に触れます。

特に注意すべきこと。

誰それを推薦してくださいと頼まれても引き受けてはなりません。煩わしい思いをしたくなかったら、他人の言うことには耳を貸さないことです。好奇心を抱いてはいけません。あなたは好奇心が強いので、これは特に心配されるところです。下々の者と打ち解けることは、どんなかたちであれ避けなさい。どのようなこともノワイユ夫妻に尋ねなさい。それだけでなく、あなたは外国人であり、何としてもフランスの国民に気に入ってもらう必要があるのですから。

この母帝の教えは、結局何も守られなかったどころか、その心配通りのことを娘はしてしまうのです。

娘の欠点、弱点を正確に見抜き、まるでフランス革命とそれに伴う娘の悲劇の運命が見えたかのようです。

世界史のひとつのクライマックスというべきドラマが始まります。

コンサートが盛んだった大都会、パリ

1740年のパリの地図

さて、皇女が向かったパリでは、皇女の臣下、エステルハージ侯爵に仕えていたハイドンの作品の名声が高まりつつありました。

ハンガリーの片田舎で、宮廷用にシンフォニーを作り続けていたハイドンの作品は、日に日に評判を増し、ヨーロッパ各地で愛奏されるようになっていました。

特に、パリ、ロンドンといった大都会では、多くの人々を集めたコンサートを開くため、大編成のオーケストラが設立し、興行していました。

少人数の王族のためではなく、多くの市民(まだ貴族も多く含まれていましたが)のための音楽が求められつつあったのです。

聴衆の誕生です。

決して難しくなく、意表をつく仕掛けが凝らされ、聴く人を熱狂させるハイドンの音楽は、まさに新時代のオーケストラにぴったりでした。

そのはしりというべき、パリの「コンセール・スピリチュエル」で、ハイドンスターバト・マーテルが異例の大ヒットを巻き起こし、それを支配人のル・グロから伝え聴いたハイドンが、片田舎に縛り付けられている我が身を嘆いたことは、以前取り上げました。

www.classic-suganne.com

コンセール・スピリチュエルでは、1778年にモーツァルトも大シンフォニー、第31番 ニ長調《パリ》を自ら指揮し、大喝采を浴びています。

円熟の極致!ハイドンの『パリ・セット』

さて、コンセール・スピリチュエルと並ぶ、パリのオーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックが、1784年頃に、ハイドンに6曲の新作シンフォニーを発注したと考えられています。

このオーケストラの記録はあまり残っておらず、ハイドンとの具体的なやりとりもはっきりとしたことは分からないのですが、ハイドンが外国から作品の注文を受けたのは初めてのことでした。

著作権が確立していない時代ですから、ハイドンの作品が各地でヒットしても、作曲者にはほとんどお金は入らなかったのです。

ラ・ロージュ・オランピックがハイドンに支払ったのは、1曲につき25ルイドール、つまり金貨5枚。

正確な換算は不可能ですが、ざっと50万円、といったところでしょうか。

6曲で300万円ですね。

これは、宮仕えのハイドンにとっては大金です。

主君侯爵の許可を得て、張り切って作曲したと思われます。

こうして出来た6曲が、名高い『パリ・セット』です。

これまで創意工夫を重ねてきたシンフォニー創作の総集成といえ、音楽は円熟の極致にあります。

後年の『ロンドン・セット』に劣らない出来栄えで、交響曲の新時代を創った曲といえます。

第82番から第87番がそれにあたりますが、今の番号順はハイドンの意図ではなく、1787年8月2日に、出版に際してアルタリア社にハイドンが送った書簡には、『最後に、私は交響曲の順序を指示することを忘れていた。交響曲は次のように銅版に刻み込まれなければならない。』とあります。

それによれば、下記の配列になります。

第1番(第87番)イ長調

第2番(第85番)変ロ長調《フランス王妃》

第3番(第83番)ト短調《めんどり》

第4番(第84番)変ホ長調

第5番(第86番)ニ長調

第6番(第82番)ハ長調《熊》

でも、ここでは従来の順番で聴いていくことにします。

現代オリンピック委員会の横暴

ジュリアン・ショーヴァン

演奏は、まさにパリの古楽器オーケストラ、ジュリアン・ショーヴァン指揮、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュです。

このオーケストラは、発足当時は、ハイドンのパリ・セットを上演したオーケストラにちなんで、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックと称していましたが、結成後にオリンピック委員会から商標を犯しているとして、撤回を求められました。

このオーケストラを設立したヴァイオリニスト、ジュリアン・ショーヴァンは、オリンピックとは関係ないとして拒んでいましたが、期限を切られて訴訟を起こすと脅され、やむなく〝オランピック〟の語を削除する事態に追い込まれました。

まったく、現代オリンピック委員会の商業主義には嫌になります。

オリンピック大会とは関係のない、ハイドンゆかりの〝オランピック〟が、どうして使えないのでしょうか。

東京五輪にまつわる逮捕劇のニュースを見るにつけ、近代オリンピックはあり方を根本的に見直した方がよいのではと思います。

スポーツ振興は大事ですが、それを隠れ蓑にした利権の独占は許されないことです。

泉下のクーベルタン男爵も嘆いていることでしょう。

それはさておき、このオーケストラは、ギリシアの神々の住まい、オリンポス山の名にふさわしい、素晴らしい演奏です。

ジプシーの熊踊り

ハイドン交響曲 第82番 ハ長調《熊》

Joseph Haydn:Symphony no.82 in C major, Hob.I:82 "L'Ours"

演奏:ジュリアン・ショーヴァン指揮 ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ(古楽器使用)

第1楽章 ヴィヴァーチェ

序奏なしで、いきなりトゥッティで始められ、ガンガンたたみかけてきます。パリの聴衆のあっけに取られた顔、そしてそれが熱狂に変わる様子が目に浮かびます。第1主題は、前半の打撃音と、後半のメロディアスな部分からなり、この対比が全楽章のテーマになっています。ただ、旋律的なものよりも、リズムに重きが置かれ、ベートーヴェンが第5、第7シンフォニーに影響を与えたのではないかと思われます。ダイナミックな音の動きが実に大胆で、聴いていて興奮します。第2主題は遅くに登場し、第2ヴァイオリンが軽やかに刻むリズムにのり、フルートを伴った第1ヴァイオリンが奏でます。

展開部では、第1主題のメロディアスな部分から始まり、リズムの部分がト短調ニ短調イ短調と転調し、緊張を高めていきます。そして第2主題がイ長調で続きます。

再現部は輝かしさは控えめで、ハーモニーが奥深い印象を与えます。この力強さは、モーツァルトの《ジュピター》にダイレクトに受け継がれています。

第2楽章 アレグレット

穏やかな旋律の変奏曲です。親しみやすいヘ長調の第1主題と、ヘ短調の第2主題が交互に奏されます。最初の第1主題が終わると、第2主題になりますが、旋律は第1主題のヴァリエーションといえます。続いて、第1主題の再現ですが、時おりフルートが入るだけで、変奏はされません。続く2回目の第2主題ですが、これは激しさを伴っていて、よくあるA-B-A形式の緩徐楽章の中間部ともいえそうです。3回目の第1主題。いたずらっぽい響きが魅力的です。コーダは大変豊かな表情を持っていて、後の『ロンドン・セット』で聴きなれた様式が、ここで確立したのだ、と実感します。

第3楽章 メヌエット:アレグレット&トリオ

ハ長調の力強いメヌエットです。グイグイくる押しの強さがこのシンフォニーのテーマのようで、それが優雅なメヌエットでも通底しています。トリオは木管楽器がそれぞれ独立したパートを吹き、絡み合います。途中でハ短調から変ホ長調に転調され、変化に富んでいます。

第4楽章 フィナーレ:ヴィヴァーチェ

ハイドンのシンフォニーの中でも有名な楽章のひとつです。冒頭の前打音を伴ったバスの持続音が、熊の唸り声を思わせるとして、この曲には〝熊〟という愛称がついた、とされています。例によって、ハイドンが名付けたものではありませんが、ハイドン在世中の18世紀末には既についていたようです。オーボエファゴットが楽しく囃し立てるさまからは、パリの街角の大道芸、熊踊りも連想されます。近世の英国では、スペインの闘牛にあたるブラッド・スポーツとして、熊を痛めつけるエンターテインメント、「熊いじめ」もありましたが、フランスでは行われませんでした。でも、熊は現代のサーカスでも人気者であるように、親しまれた動物でしたので、ハイドンのシンフォニーにもその名が冠せられたのです。第2主題は2本のオーボエで軽やかに吹かれます。展開部では、冒頭の熊の唸り声の第1テーマが高音で提示され、きわめて精緻に展開されていきます。楽器がそれぞれ違う動きをするのに、耳がついていけないほどです。再現部では第1主題に続く部分がまた違う展開になっていて、ここでも技巧が凝っています。コーダも熊のテーマが中心となり、大いに盛り上げて終わります。パリの聴衆の歓声が聞こえるかのようです。

 

 

動画はおなじみ、アントニーニ指揮のカンマーオーケストラ・バーゼルです。


www.youtube.com

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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*1:マリー・アントワネットマリア・テレジア 秘密の往復書簡』パウル・クリストフ編、藤川芳朗訳・岩波書店