孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

莫大な費用がかかった、王妃のロハスな暮らし。~マリー・アントワネットの生涯36。グルック:オペラ『オーリードのイフィジェニー』第3幕前半

プチ・トリアノン宮殿

夫王から「宮殿」のプレゼント

即位からしばらくして、20歳のフランス国王ルイ16世は、19歳の王妃マリー・アントワネットに、プレゼントをあげます。

それは、ひとつの「宮殿」。

プチ・トリアノンです。

ただ、宮殿といっても、大きさはそれほど豪壮なものではなく、8つの居室にダイニングルーム、大小の客間、寝室に浴室、そして小さな図書室といった間取りで、現代のセレブでも持っているような「豪邸」といった規模です。

もともとは、先代のルイ15世が公妾ポンパドゥール夫人のために建設し始めましたが、完成前に夫人は逝去してしまい、新たに愛妾となったデュ・バリー夫人に与えられました。

居住のための宮殿というよりは、王が愛人との情事を楽しむために作られた、ラブホテルのような施設でした。

例えば、食事の際に召使いを遠ざけるため、地下の台所から、セッティングされたテーブルがそのままダイニングルームにエレベーターのように上がってくるという、大がかりな仕掛けまでありました。

召使いの目を気にせず、イチャイチャしながら食事が楽しめる、というわけです。

王妃の絶好の隠れ家

プチ・トリアノンダイニングルーム

さて、ルイ15世も世を去り、デュ・バリー夫人も追放となりました。

ルイ16世は、この館を妻に与えました。

その目的は何か?

まだ夫婦関係も成立していない国王夫妻に、情事の場など必要ありません。

それは、衆人環視の中で儀式と儀礼に縛られているヴェルサイユ宮殿から、つかの間でも、妻が逃れて羽を伸ばせるように、という、優しい夫の配慮だったのです。

王妃には、格好の隠れ家となりました。

彼女は、この夫のプレゼントに心底喜びました。

頼りないと思っていた夫は、なんと自分の気持ちを分かってくれているのだろう!

しかしこれは、国王にとっては取り返しのつかない失策でした。

マリー・アントワネットは、公務をほとんど投げ出して、トリアノンにこもりっきりになってしまい、自分の愉しみをとことん追求し始めたのです。

王妃に謁見し、直々に声をかけてもらうという栄誉のために、一生懸命気飾ってヴェルサイユに伺候していた貴婦人たちは、ずっとほったらかしにされてしまいました。

マリー・アントワネットが嫌った、ヴェルサイユでのこうした無意味に見える儀礼は、かつて太陽王ルイ14世が、ともすれば王権に対抗しかねない大領主たる大貴族たちを、廷臣として飼いならして骨抜きにし、コントロールするという、絶対王政の根幹なのです。

江戸幕府における参勤交代のようなものです。

マリー・アントワネットは民衆から嫌われる前に、自分を支えるべき貴族たちから嫌われてしまったのです。

〝自然〟を愛した、マリー・アントワネット

王妃のアモー(村里)

トリアノンは、ヴェルサイユ宮殿のような豪華、豪奢な過剰装飾はありませんでした。

調度はやや簡素で洗練されており、これがマリー・アントワネットの趣味に合いました。

彼女は贅沢好きのイメージがありますが、悪趣味なばかりに絢爛豪華なバロック様式は嫌いで、自然体なスタイルを好みました。

皮肉なことに、「社会契約論」を著してフランス革命の下地を作った、ジャン=ジャック・ルソーが提唱した「自然に帰れ」という理念に共感していたのです。

彼女はトリアノンの館の中の調度類はほとんどいじらず、そのままにしました。

その代わり、熱中したのが庭の改装です。

ヴェルサイユ宮殿フランス式庭園は、ル・ノートルが作ったもので、幾何学的なものでした。

「国王は自然をも支配し、意のままに変える」という理念に基づくものでした。

これに対し、マリー・アントワネットは、自然の優美さをできる限り再現する、「英国式庭園」を好みました。

しかし、それは本当の自然ではなく、あくまでも「再現」された自然でした。

そして、それには莫大なお金がかかったのです。

遠くから導水管を引いて、庭に癒しのせせらぎの音を奏でる小川を作らせました。

小川が流れ込む人工の池には素敵な人工の島を作り、緑や苔を移植します。

また、人工の岩山や洞窟を作り、一目を避けられるような空間も作りました。

人工の森に人工の小径。

人工の草原には四季折々の花々が咲き乱れます。

ベートーヴェンが愛したような「田園風景」が、巨額の費用を投じて人工的に造られたのです。

ロハスな暮らしを再現した「王妃の村里」

〝再現〟された農家

王妃の趣味はさらにエスカレートし、なんと人工の「村里」が作られました。

実際ののどかな農村を再現し、池の周りに藁ぶき農家が8軒建てられ、卵の採れる鶏小屋、肥料小屋、厩舎、干し草小屋、納屋、鳩小屋があしらわれます。

建物は新築ながら、ハンマーで叩いてわざと壁にひびを入れ、漆喰を剥ぎ落し、屋根板をいくつか取り外すなどの、「エイジング加工」が施されました。

さらにリアリティを出すため、本物の鶏、乳牛、ウサギ、羊が連れてこられ、さらには本物の農夫、農婦、草刈り人、乳搾り娘、羊飼い、狩人、洗濯人が、実際の作業をさせられました。

まさに、王妃専用の「農村テーマパーク」が作られたのです。

彼女も、気が向けば自分で乳搾りをしたり、卵をとったり、チーズ作りをしたりして、「ロハスな暮らし」を楽しみました。

本物の農村など訪ねたこともなかったのに。

また、ここでは王妃が主人であり、命令は「王妃の名において」発せられました。

これは、男性にしか権力を与えられない中世ゲルマン以来の「サリカ法典」に反することでした。

小さい宮殿内だけの治外法権とはいえ、廷臣たちの顰蹙を買いました。

国王も時々この宮殿を訪れましたが、客人として王妃のルールに従っていました。

王にはベッドさえなく、王妃のご機嫌伺いに訪ねるだけで、宿泊も長居もせず、自分の好きな狩りや錠前作りに戻っていきました。

お互いの趣味を尊重した、不思議なすれ違い夫婦といえます。

ともあれ、一見素朴なこの「王妃の村里(アモー)」にかかった莫大な費用は、フランス革命後、マリー・アントワネットの裁判で告発、追及されるネタになってしまったのです。

〝再現〟された水車小屋

さて、そんなマリー・アントワネットゆかりのオペラ、『オーリードのイフィジェニー』の続きを観ていきましょう。

『オーリードのイフィジェニー』登場人物

アガメムノン:ミケーネ王、ギリシャ軍総大将

クリュタイムネストラ(クリテムネストル)アガメムノンの妻、ミケーネ王妃

イピゲネイア(イフィジェニー)アガメムノンの娘、ミケーネ王女

アキレウス(アキレス、アシール)ギリシャ軍の英雄、プティア王ペーレウスと海の女神テティスの子

カルカスギリシャの祭司長

アルテミス(ディアーヌ):狩りと月の女神

パトロクロス(パトロコル)ギリシャの将、アキレウスの親友

アルカスアガメムノンの衛兵隊長

グルック:オペラ『オーリードのイフィジェニー』第3幕前半

Christoph Willibald Gluck:Iphigénie en Aulide, Wq.40, Act 3

演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ:クリュタイムネストラ)、リン・ドーソン(ソプラノ:イピゲネイア)、ジョゼ・ヴァン・ダムアガメムノン:バス・バリトン)、ジョン・エイラーアキレウステノール)、モンテヴェルディ合唱団、リヨン国立歌劇場管弦楽団【1987年録音】

注)音楽はハイライトのみの抜粋です。

第38曲 合唱とレシタティフ

ギリシャ軍の将兵

(舞台裏から聞こえてくる合唱)

ならぬ、ならぬ、

我らは我慢できない

生けにえを神から奪うことなど

神々は彼女の死を命じた

彼女を逃がしてはならない

(女たちと衛兵たちの真ん中で取り乱した状態で入ってくる)

イピゲネイア

なぜ抑えようとするのですか、アルカス、

彼らの怒りに対して?

アルカス(女たちに向けて)

彼女をここに留めておきなさい

私は義務を忠実に果たすまで

私がこの残酷な将兵たちを撃退するまで

イピゲネイア(去っていくアルカスに)

無駄な努力をしないでください。

(女たちに)

母を助けに行ってください

私の最後の瞬間を見なくてすむように

そして私に務めを果たさせてください

神の怒りは私が鎮めます

私には死ぬ覚悟ができています

第3幕は、ギリシャ将兵たちの怒りの合唱で始まります。女神の神託通り、生けにえを捧げなければ、いつまでも当地アウリスに足止め。早く戦で手柄を立てたい将兵たちは、もはや暴発寸前です。王の側近、アルカスは何とか将兵たちを鎮めようとしますが、既に神意に従う覚悟を決めたイピゲネイアは、それを無駄なこと、と退けます。そして、自分が殺される場面を母が見ることのないように、侍女たちに母を遠ざけるよう依頼します。将兵たちの責めたてるような合唱は、バッハの受難曲で「イエスを十字架につけよ」と無情に詰め寄るユダヤ人群衆の合唱を思わせます。

第39曲 レシタティフ

アキレウス

王女よ、私に従ってください!

群衆の叫びも無茶な怒りも恐れないで

私が睨みつければ、

彼らは恐怖に震えるただの烏合の衆となるでしょう

アキレウスの保護のもと、

あなたは安全です

さあ、来るのです

イピゲネイア

ああ!

おお、何と恐ろしい義務なのでしょう!

アキレウス

さあ、貴重な時間を無駄にしないないで

イピゲネイア

つまらない女のために武器を取ることこそ無駄です

主よ、女の死のために…

アキレウス

なんという情けないことを言うのですか?

あなたは信じないのですか?

私の運命が、

私の人生と幸せが、

あなたの命にかかっているということを?

イピゲネイア

あなたは私にとって大切なひとです

それを否定することはできません

神々が求められるほどの私の命

それはあなたのものであり、

この上なく優しい愛です

それを永遠にあなたに捧げます

続いてアキレウスが登場し、婚約者である王女を守って見せる、あんな将兵ども、自分の前では烏合の衆だ、と見栄を切ってみせます。しかし、イピゲネイアは、そんな婚約者の愛に心動かされつつも、神の意思には従わなければならない、と応えます。ふたりの葛藤が交錯する、見事で劇的なレシタティフです。

第40曲 エール

イピゲネイア

私の運命は定めに従わなければなりません

私は墓までたじろぐつもりはありません

そう、

祭司のナイフが私を刺し貫いても

私はあなたに言いましょう

愛していると

私の最後の息吹もあなたのためだけのものです

イピゲネイアは、神意に従う思いと、死んでもアキレウスを愛している、という強い思いを、美しく穏やかなのに、毅然とした意思が感じられるアリアで伝えます。彼女の強い決意に心打たれます。

第41曲 レシタティフ

アキレウス

それで私を愛しているといえますか?

まだ信じていないのですか?

私がどんなにあなたを愛しているか

私を残して死ねるのですか

イピゲネイア

トロイアに出発してください、主よ

栄光があなたを待っています

神々はあなたに不滅の業績を与えます

あなたが活躍するべき場所

私の死がそこにあなたを導くことができます

アキレウス

引き換えに私の輝かしい栄光を

あなたは欲しいというのか

それはあまりに残酷だ

いっそのこと私はあなたを嫌いになりたい!

彼女の決意に納得できないアキレウス。しかしイピゲネイアは、英雄としてトロイアで歴史に永遠の名を残す運命を、自分のせいで変えてはならない、と伝えます。むしろ、自分が死ぬことによって、アキレウスが功業を全うすることになる、それこそ本望、と、まさに英雄的な心情を吐露します。しかしアキレウスは、自分のために彼女が犠牲になるなんて、とても納得できません。

初演でイピゲネイアを演じた当時の人気女優ソフィー・アルノー
第42曲 エール

イピゲネイア

さようなら

魂の中に留めておいてください

私たちの熱い愛の記憶を

この清い炎が

あなたの心の中で永遠に生きるように

イピゲニアを忘れないで

栄光に値する、

あなたの大切な人生のために

死ぬまであなたを愛しました

イピゲネイアにはもはや、生きるという選択はなく、世のため、大切なひとのため、自分が犠牲となって役に立てる、ということに喜びを見出すまでに、精神的に高みに達しています。そして歌う、別れのアリア。アデュー、という、変ホ長調の切ない歌は、全曲の中でもとくに感動的な、白眉の音楽とされています。

第43曲 レシタティフ

アキレウス

なたなしでアキレウスが生きていけるとでも?

いいえ、いいえ

私は神に抗います!

あなたが何と言おうと、

私はあなたをこの場所から引き離さなければなりません

来てください、王女よ

あなたは私に従わなければなりません

イピゲネイア

嫌です!

あなたの望みは何ですか?

イピゲニアを信じていたあなたが

ご自身の栄光と義務を忘れることができるのですか?

あなたにとってそれは命よりも大切なものなのです

ああ、神を裏切ることも、

父を裏切ることもなく、

私は死を受け入れます

そして自分の手で自分を解放します

あなたがあえて私に申し出た

罪の手助けから

アキレウス

とにかく従いなさい

ひどい人よ

最も恐ろしい死を求めて行くがいい

あの忌まわしい祭壇へ

私はあなたの後についていきます

そして、あなたのために用意されている打撃を阻止します

イピゲネイアの覚悟を聞けば聞くほど、その理不尽な運命にアキレウスの怒りは高まっていきます。そしてふたりの意思は、ついに口論となり、ドラマはクライマックスに達します。

第44曲 エール

アキレウス

怒りの剣を突き刺されたカルカスが

私の最初の犠牲者になるだろう

犯罪のために飾られた祭壇など

私の手で打ち壊してやる

そして、戦いの混乱の中で

あなたの父上が私の怒りに歯向かおうとしたならば

私に打たれ、倒れ、命が絶たれるのだ

そしてそれもあなたのためなのだ

我慢の糸が切れたアキレウスは、神の意思など糞くらえ、愛する人を守るため、まずは祭司カルカスを血祭りに上げ、全てをぶち壊してやる、と、二長調アレグロで戦いのアリアを歌います。この勇壮な、ヘンデル風の歌は初演の際、聴衆を熱狂させ、興奮したひとりの士官が思わず剣を抜き、舞台の上に駆け上った、と伝えられています。

第45曲 レシタティフと合唱

イピゲネイア

なんという残酷なこと!

彼は言ってしまう

おお、天よ!

あなたの怒りを私の死で満足させ

大虐殺と犯罪を阻止してください!

合唱

ならぬ、ならぬ、

我らは我慢できない

生けにえを神から奪うことなど

神々は彼女の死を命じた

彼女を逃がしてはならない

アキレウスの怒りから、自分ひとりが死ねば収まるのに、さらに犠牲者が増えるかもしれない、と、イピゲネイアは絶望します。そこに、また将兵たちの抑えきれない要求が迫ります。もはや時間はない!

クリュタイムネストラ

野蛮人よ!

非道な怒りを実行に移す勇気があるのか

来て私の腕の中で彼女を殺すがよい

(娘は母の腕の中に身を投げる)

おお、娘よ!

イピゲネイア

ああ、母上!

クリュタイムネストラ

おお、私のイピゲニア!

最後の息が止まるまで

私はあなたの命を守ります

イピゲネイア

運命を引き伸ばすことはできません

神々が彼らを怒らせているのです

お逃げください

ギリシャ人に残虐な仕打ちをさせてください

ああ!

もし私があなたにとって大切なものだったら

立ち去って

反抗的な軍営に行かないでください

血に飢えた群衆の手から私を奪い取るために

ご自分の地位と尊厳を捨てないでください

クリュタイムネストラ

おお!

私の地位、

私の尊厳、

そして私の人生に、

何の意味があるのでしょう!

私から娘が奪われたのなら

もう日の光など見たくありません

母の王妃クリュタイムネストラも、この切迫した事態に絶望し、自分が代わりに犠牲になってでも娘を守りたい、と訴えます。イピゲネイアは、婚約者に続き、母までもがそのように取り乱す姿に心を痛め、あくまでも神が求めているのは自分、と、健気に留めます。

次回、最後の結末がやってきます。

 

動画は引き続き、ジュリアン・ショーヴァン指揮、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュによる、コンサート形式の上演です。

動画プレイヤーは下の▶️です☟

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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