母を失い、父は酒に溺れ、弟たちの一家の扶養責任まで負った青年ベートーヴェンは、まさにどん底状態でしたが、このボン時代は彼の人格形成、そして後の偉大な創造にとってかけがえのない時期となりました。
ベートーヴェンの人生を貫く不屈の意思は、この時期に育まれたといえるでしょう。
そして、天は、自ら助く者を助く。
この時期に得られた幅広い交友と学習、経験は、偶然の賜物としてはあまりに貴重でした。
運命は彼に天与の才能と、それを伸ばす恵まれた環境を与えたのです。
まずは、生涯の親友となる、フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー(1765-1848)との出会い。
彼は、ベートーヴェンより5歳年上で、出会った当時は17、8歳の医学生でした。
後にボン大学の医学部教授から学長まで務めた秀才で、ベートーヴェンの死後にその思い出を出版します。
ベートーヴェンは、宮廷第ニオルガニストとして精勤する一方、収入を補うために市内の貴族や富裕な市民の音楽教師のバイトをしていましたが、ヴェーゲラーは彼に自分が親しくしていたブロイニング家を紹介しました。
家族団欒を体験したブロイニング家
ブロイニング家の当主は選帝侯宮廷の参事官でしたが、1777年に侯邸が火事になった際、重要書類を守ろうとして焼死、殉職していました。
残されたヘレーネ・フォン・ブロイニング夫人(1750~1838)は28歳で4人の子供を抱えて未亡人となってしまいますが、知性と教養に溢れた気丈な夫人は、しっかりと子供たちを教育し、その家には知識人たちが集まって、知的サロンとなっていました。
夫人はベートーヴェンの類まれな才能をすぐ見抜き、自分の子供のように可愛がりました。
ブロイニング家には貴重な蔵書があり、古典から、ゲーテ、シラーなどの最新の文学書まで揃っていました。
ベートーヴェンが生涯傾倒したゲーテ、シラーとの出会いはブロイニング家が原点なのです。
〝第9〟もブロイニング家との出会いが無ければ生まれなかったかもしれません。
また夫人はベートーヴェンにも礼儀やマナーなど、時には厳しく指導し、後年彼は〝ブロイニング夫人のお叱言〟を懐かしく思い起こしています。
まともな学校教育、家庭教育を受けられなかったベートーヴェンは、ここで初めてちゃんとした教育を受けたと言えます。
ブロイニング家の姉弟たち
ブロイニングの子供たちは、長女エレオノーレ(1771~1841)、長男クリストフ(1773~1841)、次男シュテファン(1774~1827)、三男ロレンツ(1777~1798)といった顔ぶれで、ベートーヴェンの役目はエレオノーレとロレンツにピアノを教えることでした。
次男シュテファンとは生涯の親友となり、後にクレメントのために作曲されたヴァイオリン・コンチェルト作品61は彼に献呈されます。
エレオノーレはベートーヴェンの初恋の人といわれていますが、はっきりした証拠はありません。
彼女は後に30歳でヴェーゲラーと結婚し、夫妻との友情は生涯続きます。
末っ子ロレンツは後にウィーン大学に入り、ウィーンでもベートーヴェンにピアノを習い続けますが、ボンに帰ってから22歳で病死します。
人材育成と文教政策に力を入れた進歩的な君主、選帝侯マックス・フランツは、1786年にボン大学を創設しますが、ベートーヴェンは1789年に、宮廷楽団の同僚アントン・ライヒャとともにここに入学します。
選帝侯は入学に身分制限は設けず、勉強意欲のある者は平民でも学ぶことができたのです。
選帝侯は全ドイツから当時一流の教授陣を招きました。
中でも有名なのが、聖職者でありながら教会を批判し、過激なまでに啓蒙思想を広めていたオイロギウス・シュナイダー教授で、ベートーヴェンもその講義を熱心に聴いています。
現代哲学の分野では、ファン・デル・シューレン教授や、ヨハネス・ネープ教授がカントの『純粋理性批判』や『実践理性批判』、『美と崇高の感情に関する考察』を講じていました。
啓蒙思想の広まりを受けて、ドイツ各地では「光明会」という知的サークルが結成されていました。
教会の固陋な権力を否定し、近代化を図ろうとするフリーメイソン系知識人の集まりですが、ボンでのリーダーのひとりが、ほかならぬベートーヴェンの師ネーフェで、『読書クラブ(レーゼゲゼルシャフト)』として活動していました。
サークルでは読書と討論をさかんに行い、啓蒙思想を盛り上げていったのです。
ベートーヴェンがこのような知的で進歩的な雰囲気の中でボン大学に入学した1789年、隣国フランスで革命が勃発します。
シュナイダーはこの報を受けて特別講義を行い、ベートーヴェンもそれを聴いて感動しています。
シュナイダーは、『人間の真の価値は生まれの良さとは関係がない。真の高貴とは、精神の偉大さと心の善良さのみによる』と訴え、これはそのままベートーヴェンの信条となりました。
ベートーヴェンが後にナポレオンに傾倒したのも、この頃に育まれた自由、平等、博愛の精神によるのです。
最大の後援者、ワルトシュタイン伯爵
フランス革命の同年、選帝侯はボンの国民劇場を再開させ、兄ヨーゼフ2世の政策にならって、大好きなモーツァルトの作品を上演させます。
劇場のオーケストラは宮廷楽団が担当しますから、ベートーヴェンは通奏低音のチェンバロを弾きながら、『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』のボン初演に参加します。
これはベートーヴェンにとって貴重なモーツァルト体験でした。
このような環境とチャンスに恵まれて、学問、教養、精神、音楽それぞれの分野で、ベートーヴェンは成長していったのです。
これを幸運以外の何物でもありません。
そして、最後に重要な人物との出会いを紹介しましょう。
ブロイニング家に出入りしていた貴族、フェルディナンド・フォン・ワルトシュタイン(ヴァルトシュタイン)伯爵(1762-1823)です。
ベートーヴェンより8歳年長で、後に有名なピアノ・ソナタ『ワルトシュタイン』作品53を献呈する相手ですが、ボン時代の最大のベートーヴェンのパトロンでした。
ウィーンの名門貴族出身でしたが、ドイツ騎士団に入団するため、騎士団長である選帝侯マックス・フランツに召喚されてボンに来ました。
騎士に叙任されてから、選帝侯の重臣となりますが、大変な音楽愛好家であり、作曲も行っています。
ブロイニング家でベートーヴェンと出会い、その楽才の非凡さを見抜き、当時ボンに数台しかなかったシュタイン製のピアノを贈っています。
ベートーヴェンがウィーン研修の帰路、母危篤の知らせに急ぐさなかにも、アウクスブルクでシュタインの工房を訪ねたのも、この縁からなのです。
伯爵について、後年ウェーゲラーはこのように書き残しています。
ベートーヴェンにとって最初の、そしてどこから見ても最も重要な後援者は、ワルトシュタイン伯爵だった。伯爵は単に音楽について知識があっただけではなく、自らも音楽実践を行っていた。彼こそ、われらがベートーヴェンの才能を最初に正しく評価し、あらゆる方法で支援してくれた人物なのである。伯爵のおかげで、若き芸術家の中には、ひとつの主題を即興で変奏しながら演奏するという才能が発達した。*1
ベートーヴェンが初期に人々を驚かし、魅了した変奏技術は、ワルトシュタイン伯爵との研鑽の中で生まれたものでした。
おそらく、お互いにテーマを出しながら、テクニックを磨いていったものと想像されます。
その頃のたくさんの曲はその場限りで消えてしまいましたが、書き残された貴重な曲が、今回取り上げる『ワルトシュタイン伯爵の主題による変奏曲』です。
ピアノ連弾によるこの曲は、ベートーヴェンの知らない間に出版の準備が伯爵によって進められたようです。
ふたりの交遊と、若いベートーヴェンの創作魂に思いを馳せながら聴いていきましょう。
ベートーヴェン:ワルトシュタイン伯爵の主題による4手のための8の変奏曲 ハ長調 WoO67
Ludwig Van Beethoven:8 Variationen für 4 Händen über ein Thema des Graf von Waldstein C-Dur WoO.67
演奏:エイミー・ハーマン、サラ・ハーマン(フォルテピアノ) Amy & Sara Hamann
連弾曲で、第1パートと第2パートを比べると、第1パートの方が最後にカデンツァまでついていて高い技術が要求されていますが、第2パートが極端に易しいかというと、そんなことはありません。おそらく第1パートはベートーヴェン、第2パートはワルトシュタイン伯爵が弾いたのでしょうが、伯爵もかなりの腕前ということが分かります。
伯爵が作ったテーマは、アンダンテ・コン・モートで、ガヴォット風の素朴なもので、短調の中間部をもった3部形式です。
第1変奏から第3変奏までは装飾的な変奏です。第4変奏は、いきなり激しい強弱がつけられ、思わずびっくりします。第5変奏はベートーヴェンらしい流れるようなレガート、第6変奏はふたたび力強いフォルテッシモになりますが、乱暴に思えるほどの迫力です。第7変奏は一転ユーモラスな雰囲気になりますが、中間部に即興風の自由なフレーズが挟み込んであり、これが最終変奏への伏線となっています。
第8変奏は、これだけでひとつの楽章のような凝った作りになっており、変奏曲の概念を壊そうとしているかのようです。テーマからかなり脱線していき、伯爵は目を白黒させたことでしょう。アレグロ、アダージョ、プレストとテンポも目まぐるしく変化し、カプリッチョという表示まで出てきます。力強く終わると思いきや、突然ピアノに戻って軽く締めるのにも意表を突かれます。
実に斬新極まりない意欲作で、伯爵の素朴な18世紀的テーマが、最後には劇的な19世紀的なものに仕上がっていくさまは、まさに若きベートーヴェンがボンで感じた、時代の変革の風を映しているといえるでしょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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